4月21日課題のコメント

日本語と英語では意味が異なることがあります。たとえば、環境とenvironment、開発とdevelopment、など。
では、科学とScienceは同じ意味だろうか。
科学と似た理学という日本語もあるし、日本学術会議ではscienceの訳として学術を使っています。
言葉というものは単純ではないので、外国の方々と交流するときはこのことを踏まえておく必要がありそうです。
あなたの経験や考え方を教えてください。

考えるきっかけにしてください

 少しずつみなさんのコメントを読んでいますが、正解のある問いではないので、これをきっかけにして科学史、科学論、科学思想、科学哲学といった分野に興味を持っていただけたらと思います。このページはみなさんとの対話の代わりのようなものです。意見があったら近藤までお寄せください。日本の科学は明治期に成果だけを取り入れて、その前段にある哲学や思想を学ばなかったことが問題で、大学教育における教育の弱点になっていると思います。日本では書籍はたくさんありますので、探して読んでください。

普遍性と真理

 “科学は真理の探究だ”と良く言われますが、なんとなくもやもやしていました。それは私が問題解決型科学(Solution-oriented science)を指向していたからだと思います。問題の解決とはなにか。現実の前では諒解に過ぎないのではないか。科学に問題を解決できる力はあるのか。そんなことを考えていたらヤスパースの言葉に出会いました。“哲学の本質は真理を探究することのうちにある”。科学技術主義者からは“哲学は普遍的な成果を持たない”と批判されているといいます。“ははん、なるほど”と思いました。普遍性とは真理の一部を構成するものなのだ。だから“科学は普遍性の探究だ”といった方が正しい。世の中は普遍性では理解さえできない問題に満ちあふれている。科学だけでは問題の解決や諒解にはほど遠い。だから、本質を理解するためのオルタナティブ・サイエンスが必要なのだ。サイエンスは普遍性を探求するが、オルタナティブ・サイエンスは真理の理解をめざす。こういうことなのではないか。みなさんはどう考えますか。

オルタナティブ・サイエンス

 これは、古川安著「科学の社会史」(ちくま学芸文庫)から引用しました。古川氏によると、オルタナティブ・サイエンスは20世紀の科学・技術の次にくるもので、こんな特徴を持っています。①全体論的・システム論的アプローチ(全体は一つの統一体であり、部分の総和ではない)、②感性的体験に基づく直感的認識(リアリティーに接近する道)、③主体と客体の融合(生態学、エントロピーの見地から自然とのハーモニーをめざす)。みなさんはこんなサイエンスをどう考えますか。ここに若干の説明を書きました。

トランス・サイエンス

 これも知ってほしいと思います。日本では小林傳司先生の「トランス・サイエンスの時代」(NTT出版)が良い参考書です。サイエンスは問題の解決に必要だが、サイエンスだけでは問題は解決できない、ということ。では何が必要か。近藤は人文学や社会学の知だと思います。と同時に科学者が問題の現場で、ステークホルダー(当事者)と一緒に問題の解決を共有する必要があると思います。難しいかも知れませんが、福島の原子力災害に関する記事に少し説明を書きました。

科学と化学

 化学(chemistry)は科学の一つの分科です。古典哲学(philosophy)から科学の諸分野が分かれていった、その一つ。 すなわち、百科の学のひとつ。

基礎、応用、公共

 化学でひとつ思い出しました。近藤は科学のフェーズには基礎、応用、公共があると思っています。これは順番ではないのです。歴史によると応用や公共のニーズがあって、後から基礎が追いついた場合がほとんどだそうです(古川安、前出の本)。でも、基礎が追いつくと一気に進歩する場合があります。経験的に営まれていたドイツの染色業が、基礎がわかることによって化学工業に発展して行きました。ドイツのバイエル社がそうかも知れません。でも、21世紀になって大きな問題が生じたことを28日の講義で話しましょう。

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ざっと書き下ろしていますが、ミスタッチや誤りもあるかも知れません。何か気が付いたら教えてください。