4月14日課題のコメント

下記の文章を読んで、あなたの考えたところをお聞かせください。
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『ある控えめな男のためにお祝いの会が開かれた。集まった人々は、ちょうどいい機会とばかり、てんでに自慢をするやら、褒め合いをするやらで時間の経つのを忘れた。食事も終わろうという頃になって人々が気がついてみると-当の主人公を招くのを忘れていた。』
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 これはチェーホフの手帖という短編集の中の話です。「臨床の知」(中村雄二郎著)の冒頭に引用されていますが、中村氏は、「控えめな男」=「現実」、「集まった人々」=「科学者」と解釈しています。
 昨今、様々な「現実」が生起しています。それは誰にとっての「現実」なのだろうか。その現実を乗り越えるために、科学は何ができるのだろうか。そもそも科学とは何なのだろうか。
 講義で近藤の考え方もお話しするつもりですが、それに囚われる必要はありません。自分自身の考え方を語ってください。

普遍性について

 いろいろ考えて頂けたようです。この課題には普遍的な答えはありません。哲学者の内山節がこんなことを書いていたように思います。古典哲学から様々な分野が独立していた末に残った現代哲学の目的は「美しく生きること」ですが、その主張には普遍性はない。哲学者が どれだけ読者を獲得したかによって、その時代の精神的習慣が生まれる。みなさんの考え方は尊重されるべきものです。ただし、その考え方がどのような“意識世界”から生み出されたものかを考えてください。意識世界とはあなたが関係性を持ち、あなたの基本的な考え方を形成する範囲のことです。意識世界を想像すると多様な考え方が理解できるようになります。人の年齢によって意識世界を形成する年代も考えるとさらにわかりやすくなると思います。とはいえ、意識世界をお互いが理解することはなかなか難しい。ひとつの方法が「対話」(ダイアログ)ではないかと思っています。

理工系と人社系

 近藤はこのチェホフの短編の登場人物は理工系の科学者であるように思います。研究という行為自体に価値を置き、研究成果(論文)を出せば、自分ではない誰かが社会に役立てるのだと考える人々。未来を語りすぎて、現実がちょっと疎かになってしまう人々。一方、人社系の研究者は現実に対峙し、研究と同時に、未来における問題の解決を夢見る。もちろん極論であり、科学者を理工系と人社系に二分することにも問題はありますが、なんとなく科学の世界の現状がわかるような気がします。皆さんは科学の世界にこれから入っていくので、難しい話だと思いますが、変わりつつある世界の中でどう生きるのか、を考えるきっかけにならないかなと思っています。

変わりつつある世界

 こんな言葉を使ってしまいましたが、世界を地図上で俯瞰しながら、歴史的観点を入れ込んでいくと、複雑な世界の有様が少しずつわかってくるのではないでしょうか。今、ウクライナで戦争が起きていますが、この事象をどのように捉えたら良いのか。例えば、冷戦終結後、西側陣営は資本主義から新自由主義へとひた走り、様々な問題が生じています。ならば、東側陣営は資本主義とは異なる考え方で社会を構築できれば良かったのですが、それは失敗してしまったわけです。ウクライナとロシアの関係も勉強するといろいろなことがわかってきます。ロシアの侵攻で「国民国家」としてのウクライナが形成されたのではないかという気もします。国民国家の成立の歴史を勉強すると良いと思います。また、ほとんどの先進国は20世紀後半が経済成長期でしたが、成長は21世紀に入り鈍っています。高度成長期を経験した近藤と、生まれたときに低成長期(とはいえ十分豊か)であった皆さん とは世界観が異なっているかも知れません。こんなことを考えながら、少しずつ世界を理解できるように心がけてください。

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ざっと書き下ろしていますが、ミスタッチや誤りもあるかも知れません。何か気が付いたら教えてください。