4月24日 課題3のコメント

●食糧に関する話題を提供しました。食糧生産と人の営みの間には様々な関係性があることを理解して頂けたと思います。さて、食糧安全保障は国にとって重要な課題と認識されていますが、近い将来食糧不足は起きるかどうか。起きるとしたらなぜか、起きないとしたらどうしてか。あなたはどう考えますか。

課題に正解があるわけではないことに注意。以下に書かれたことは近藤の回答です。疑問に感じたら連絡ください。

起きると考えることの背景-都市

 食糧不足は起きるという方がほとんどでした。そう考える背景はなんでしょうか。 近藤は都市生活者の視座があるように思います。都市では生存のための資源を外部から供給されますが、小麦等のグローバル市場経済の中で流通する商品は輸入に多くを頼ります。そのルールは資本主義に基づくグローバル市場経済、貨幣経済の論理です。経済システムに問題が生じたときに都市では食糧不足が起きるかも知れませんね。外部から食糧・食料を持ってくるためにはロジスティクスも機能していなければなりません。では都市以外ではどうでしょうか。

経済指標に入らない食糧・食料

 農村的世界ではある程度の食糧(食糧は穀物ですが、食材である食料もあるので以下では食糧を使っておきましょう)は自給できます。また、“お裾分け”の習慣もあるでしょう。自給経済、交換経済は貨幣価値に換算されず、農家の家計には計上されません。開発経済学では帰属計算といって自給、交換分も貨幣価値に換算することによって、途上国の農家の豊かさを計算する方法があります。日本でも地方の兼業農家では自給分は自分で生産できる農家がたくさんあります。年収は都市より少なくても、可処分取得は都市より多い、なんてこともあるわけです。最近、地方の暮らしがだんだん理解されてきて、移住を決断する若者も増加しています。今まで見えていなかった世界を覗くと、ちょっと違った未来が見えてくるかも知れません。でも気候変動が問題だと考える方もいました。

気候変動に対する農業セクターの対応

 気候変動に対する影響を最も身近に感じているのが農家だと思います。近藤は“現代農業”誌(農文協)を10年以上購読していますが、多くの農家が気候変動、温暖化に対応していることを知っています。対応できないのは、例えば田植え等を決まった時期(例えばGW)にしかできない兼業農家さんがあります。温暖化に対しては高温に強い品種、農事暦の変更といった対応策はあるのですが、それを拒んでいるのが社会システムなのです。ブランドが確立していない品種は売れない、といった消費者側の問題もあります。専業農家は兼業農家より柔軟に温暖化には対応できるかも知れません。一方、水害は対応が難しいかも知れませんが、河道の脇を農地開発しなければならない理由は、市場経済社会における貨幣獲得を目的とした企業的農業のリスクかも知れません。

冷害の記録

 ひとつ思い出しました。東北地方は宮沢賢治の童話でよく知られているように、冷害に苦しんだ地域でした。しかし、山村の調査をしていると冷害の記録がない地区があったという研究があります。それは北上山地は標高が高いため、米が育たず、雑穀主体の農業を継続していたのですが、それが冷害に強かったということです。文献を知りたい方は連絡ください。暮らすための必要を満たすことができる社会が山村にあったといえるかも知れません。必要を確実に満たすか、需要を喚起して貨幣を獲得するか、どちらが持続可能なのか、新型コロナ禍の中で考えるのに良い課題だと思います。

単純な因果関係に注意

 環境問題や資源問題を考える時に、シンプルな因果関係を仮定して結論を導くという考え方は一端立ち止まって考える必要があります。例えば、地球温暖化⇒沙漠化⇒農業が可能な土地の減少はわかりやすい因果関係ですが、まず地球温暖化は沙漠化の要因でしょうか。実際には人間要因が主体です。沙漠化が農業が可能な土地を減らすという言説もわかりやすいのですが、もともと作物の栽培に適していない土地にコストをかけて作物栽培を行う場合に管理の失敗、水資源の減少を誘発する可能性があります。ステップ地域であれば牧畜が最も土地に適した農業といえるでしょう。しかし、土地が家畜を養える数には限界があるので、人口増加に伴い、家畜が殖えれば、牧畜も持続不可能になるかも知れません。一方、沙漠化の原因は多くの場合、明らかであり、管理することも可能です。人間の叡智を発揮することができる場面でもあるのですが、それを不可能にしているものは何でしょうか。考えてください。

人口増加と食糧不足の関係は

 農業生産量の増加は地球人口の増加に追いつかない。だから食糧不足が起きるという考え方はわかりやすい。地球と人間を点、あるいは数字として捉える考え方です。世界は地図の上で考える必要があります。食糧不足が起きるとしたら、まず食糧の配分の問題として現れ、地域の問題として発現するでしょう。紛争が起きている地域はよけいに危機に陥りやすいといえます。一方で飽食、もう一方で飢餓ということも起こりえるでしょう(実際に起きている)。その時、豊富に食糧のある国が不足している国に食糧を供与するでしょうか。2008年の食糧危機では多くの国が輸出規制を行いました。国民国家の集合である世界では、まず国民の食糧安全保障を考えなければならない。もちろん、国連も機能するが、アクションは限定的でしょう。それでも国連はがんばっています。それがSDGsです。SDGsの本質について調べてください。

国連「世界家族農業の10年」

 国連について書いたので、思い出しました。国連は2019年から2028年の10年間を「世界家族農業の10年」として、家族農業(小農)を評価し、持続可能な農業のあり方を世界に問うています。WEBでも調べられますし、日本語の本も出ていますので積極的に調べてください。FAOの日本語ページを紹介します。 なぜ家族農業なのか。その背景を調べてください。

ビジネスとしての農業、生きるという営みを保証する農業

 皆さんの文章を読んでいると、食糧を巡る世界のなかにおける関係性について的確に認識していることがわかり、安心しました。資本主義、貨幣経済を前提とした営みに農業も組み込まれている状況をさらに深く突っ込んで調べ、考えてください。近藤は良く考えます。生きるという営みには、自分と家族が暮らしを持続するための必要レベルの営みと、貨幣を獲得するための営みがあります。前者が確実に担保できる社会が持続可能な社会なのだろうなと思います。ちょっと抽象的になりましたが、近藤が何を言おうとしているか、考えてください。

日本の経済力-10年後、さらにその先は

 確かに日本の経済力はまだまだ強い。だから戦争さえ起こらなければ10年は大丈夫というのはそうかも知れない。BtoCでは日本はちょっと陰りが見えているが、日本の強さはBtoBにある。アップルやファーウェイが儲かれば日本も儲かる構造がある。だから輸入すれば大丈夫という考え方ですが、日本の国力、近藤は少し心配です。 人口が減少し、特に生産年齢人口が減少する状況では国力は低下せざるを得ないのではないか。むしろ、新自由主義的な社会ではない、別の成熟社会を日本はめざすべきではないかと考えています。日本人固有のお人好し的な考えと批判されますが、世界が歩んできた道程を考えると、実現可能であるように思います。理想を掲げ、それに邁進するのはヨーロッパ思想でもありますが、理想を目指しても良いのではないかと個人的には思っています。ちょっと考えて見て。

食料自給率

 確かにカロリーベースの日本の食料自給率は低い。わざと低く見せているのではないかと勘ぐりたくなるのもわかります。日本は米はほぼ自給している。輸入はミニマムアクセスとして義務づけられている分です。野菜は地場のものであり、自給能力はあると考えています。かつてソ連が崩壊したときに、キューバは食料危機に陥りそうになりましたが、ハバナでは都市農業によって野菜を自給したという書籍があります(私が家庭菜園を始めたきっかけになった本です)。ソ連でも食料危機が深刻にならなかったのは、ダーチャと呼ばれる畑付き別荘を持つ習慣がソ連の国民にあったからという仮説も頷けます。食料危機が数世代先に起きる可能性があるとしたら、今何をやるべきか。それは日本国民がある程度の自給能力を持つことです。実は、国土形成計画や環境基本法の中にベースとなる考え方は入っている。日本の政策について調べて見るとおもしろいと思います。国の政治や行政のトップレベルはようわからんのですが、技術官僚の方々は真剣に考えていますよ。もちろん、学術界や民間も。

タンパク質クライシス

 これは知りませんでした。肉類に頼りすぎなくても良いのではないかと老人は思いますが、若者は肉が食べたいのだろうな。タンパク質を摂取するための食材をこれから考えていかなければなりませんね。肉をどうするか。エシカルな生産による高い肉を消費するか、エシカルではなくても安い方が良いか。近藤は朝は納豆を食べています。おかめ納豆が一番安くてうまいと思います。

食品廃棄物

 これは重大かつ深刻な問題です。世界の中で食料は偏在しているのに、貨幣で食料を入手することによって、その先にある関係性を捨象している。食品を粗末にするということの背景には貨幣経済に基づく資本主義があるような気がします。食品廃棄の問題を受け流さずに、個々人が対応を考えてほしいと思います。それでこそ成熟国家の国民です。千葉県ではこの春、「第10次千葉県廃棄物処理計画」が策定されました。副題が「千葉県食品ロス削減推進計画」です。ここを見てください。 食品ロスを削減するために、様々な取組が行われていることを知ることも大切なことだと思います。

商品としての食料

 皆さんの記述を読んでいると、食料を商品として捉えていることがわかります。一方、近藤は食料を地域で考える時は農産物、グローバルで捉える時は商品として捉えていることに気が付きました。グローバルな視点では政治、経済、ビジネスといった観点が重要になり、地域の視点では社会のあり方が問題になります。日本の食料はグローバルを相手にしないと調達できないのだろうか。TPP、FTA、WTOの枠組みは世界の一員として日本が立ちふるまうためには重要ですが、食料安全保障のひとつのあり方として国内生産を担保することもあります。そのための取組も試みられていることも知っておくと良いと思います。農畜連携で飼料米を作る、国産小麦を生産する(千葉県もさとのそらという品種があります)、などいろいろあります。減反された水田で小麦や大豆を栽培するための研究に少し関わったことがあります(湿害対策が重要なのです)。

人口-再び

 日本はすでに人口減少局面に入った。世界もいずれ人口減少の時代を迎える。今が人類史上、一番厳しい時代なのかも知れません。だからといって安心せずに、持続可能な食料供給ができる社会を創造して行かなければなりません。

山地の農業

 日本は山地が多いので、農地を拡大できないのではないかという意見を頂きました。確かにその通りですが、平地で企業的な経営をする農地を増やすことはできないでしょう。でも、四万十みはら菜園(検索してみて)のように山地でもうまくやっているところもありますよ。地形が緩やかな花崗岩地域では畜産業が盛んです。それぞれの地域にあった農作物もあります。なお、日本の山村には1000年続いているところもあります。焼き畑は昭和の中頃まで広く営まれていましたが、実は結構生産性は高い。農の営みを知ると、新しい世界が見えてくるかも知れません。

平和と食料安全保障

 現実に食糧不足が起きている社会の状況はどうなっているのでしょうか。ほとんどは紛争で生産ができなくなってしまうことが原因ではないか。平和であれば食料は生産できるのではないか。考えて見てください。

食文化

 日本も洋風の食文化が入ってきて、小麦に代表される工業的な生産ができ、.グローバル市場経済によって流通する食糧が食卓に入ってきた。でも日本は和食の食文化を持っていた。和食といっても家庭料理の和食です。米と一汁一菜で必要は満たすことができる。老いた身ではパンや肉は必要を超える需要を満たすものなので、いざとなったら和食回帰で良いなと思っています。ただし、地域の産品を使う、地域の食文化を大切にしていきたいと思うのです。近藤と若い皆さんの間で、食に関する必要と需要の境界が大分違うのではないかと思うのですが、どうだろうか。良い研究テーマだと思います。

卵かけご飯について考える

 確かに日本の鶏卵の自給率は95%という数字が出てきます。だから食料輸入が止まれば日本人は卵かけご飯しか食べられなくなるかな。日本の鶏卵の生産方法を調べて見よう。ケージで買われ、鶏は卵を生産する機械の様です。これがアニマルウェルフェアの観点から問題になっています。そもそも卵は安すぎると思います。だから工業的な生産をせざるを得なくなる。もっと卵は高くなってもよいのではないだろうか。もやしや納豆も同様。私たちは食品の価格について適切なレベルを考え無ければならないと思います。価格の調整が難しいのは競争を是とする資本主義経済で生産されているからで、ここは消費者の意識を変えなければならない点だと思います。なお、ケージ飼いの鶏は輸入飼料を食べているとすると実質的な自給率は10%という節もあります。

食料は誰が生産するのか

 問題の本質が食料分配の不均衡にあるとすると、それをもたらしているのは何か。なぜ生産できないのか。ここは突っ込みどころだと思います。都市における経済活動で得た貨幣で食料を獲得する仕組みはグローバル市場経済が機能していることが前提ですが、その場合の生産者は誰か、生産の目的は何か。生きるための食料か、貨幣を増殖するための食料か。考えてみてください。

食料を獲得する力とは

 この力がないと食料不足が起きるという仮説。それは経済力によって食料を外部から移入する都市的社会が前提ですね。農家は自家消費分は生産できるかも知れない。食料不足で苦しんでいる人々は都市生活者か。この点を突っ込んでください。

Cloud Agronomics

 マイクロソフトが推進しているというクラウド・アグロノミクスは知りませんでした。ホームページを見ると、まずセンターピボット灌漑の画像が目に飛び込んできました。これは生きるための必要を満たす農業ではなく、作物を媒介として貨幣の獲得をめざす資本主義の営みかなと思いました。少し穿った見方ですが。センターピボットの画像はアメリカ、ハイプレーン地域だと思いますが、広い面積を使って管理型の農業を行っている場所ではリモセンやAIは有効かも知れません。ただし、ハイプレーンは地下水枯渇問題があり、長期間にわたって持続可能とはいえません。また、ヨーロッパではセンチネル衛星を使った農業管理システムができあがっています。それは作付面積が広大であるということと、高緯度にあるため農事暦にばらつきが少ないという利点があるからです。日本では農事暦にばらつきがあり、圃場面積も狭いためリモセンの活用は農事暦のばらつきが小さい北日本に限られています。

どんな環境でも育つ作物

 どんな環境でも蒔けば育つ作物はたくさんあるだろうか。あるから大丈夫という考え方にも一理あるかも知れません。例えば上の方で書きましたが、雑穀は厳しい環境でも育ちます。贅沢な食材を求めなければ小さなコミュニティーを養っていくことは可能かも知れません。食料問題を考える時には、暮らしのあり方、社会のあり方も一緒に考えると現実的な思考ができると思います。

明日食べるものがなくなる

 私の人生においてこの経験は2回ありました。最初は1993年の冷夏。米の作況指数が低く、初めて海外から米を輸入した都市でした。出先から帰ってスーパーに行ったら米が売り切れでした。2回目は東日本大震災。スーパーにいったら主要な食材が売り切れていました。ただし、どちらも買い占めと流通の問題であり、本質的な不足ではありませんでした。日本は良い国だと思います。こだからこそ、食料安全保障について十分考えておきたいものです。

供給可能性・入手可能性・栄養性

 食料安全保障を考える際、この3点は重要ですね。これらを確保するためにはどうしたら良いでしょうか。資本主義、グローバル市場経済を基調とする現在の社会システムの存続を仮定して考えるという方向がまず考えられます。そのための上記3点に加えて外交も重要な営みになるでしょう。近藤はもう一つの方向性を考えたい。それは地方創生、地産地消、地域経済といったキーワードで語られる地方の暮らしですが、それは高度管理社会である都市の生活を否定するものではなく、都市と地方(農的社会)が共存・共栄する社会です。一緒に考えましょう。

農業ってなんだ

 食糧や食料を生産してくれる農業とは何か。工場と同じで、製品が食料なのか。人は稼ぎを得るために工場である耕地で働いているのか。実際の農業のイメージは少し異なると思います。農業には多面的機能があります。地域を創り、コミュニティーを創り、環境を維持し、地域の持続可能性を担保する農業です。“農業 多面的機能”で検索するとたくさん情報が出てきます。農の営みについて調べ、考えてください。

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ざっと書き下ろしていますが、ミスタッチや誤りもあるかも知れません。何か気が付いたら教えてください。