第2章 山と川

1 第2章は山と川に関する話題ですが、水害や土砂災害に関わる内容を含んでいます。これは2022年から必履修化される高校「地理総合」においても重視されている部分です。ここはしっかり学んで、災害に強い市民として一歩先に出ましょう。

河川地形を勉強することはどんなメリットがあるでしょうか。写真は斐伊川の空中写真です。河道や中州や寄州が見え、網状流の形態を呈しています。これは河床は礫から構成されていることを示し、河川としては中流の性質を持ち、土砂流送量が多く、水害の被害を受けやすい、ことがわかります。

河道の外側(堤内地といいます)は後背湿地である水田、道路や集落で示される自然堤防の存在がわかります(少しずつ理解していきましょう)。自然堤防が錯綜することは、この平野が何度も河道変遷を伴う水害を経験していることを意味しています。その水害こそ、古代では八岐大蛇でした。
2 今、一番知ってほしいこと(高校地理の復習でもあります)は、川が作った地形です。昨年の台風19号の水害、千葉県では台風21語の影響による水害は記憶に新しいと思います。

水害は川の近くで起きます。でも、川の立場からは地形(平野)を作るという営みに過ぎないのです。自然の営みに人間が遭遇すると、災害になります。自然の営みを知り、その成果(河川地形)を知っていれば、災害を避けることに繋がります。

沖積低地における扇状地⇒氾濫原(自然堤防地帯)⇒三角州の地形配列とその機能を知りましょう。
3 氾濫原では川は蛇行します。時々氾濫を起こすと、河道の近傍に土砂を堆積させて、自然の微高地(自然堤防)を形成します。自然堤防では氾濫しても水位は相対的に低く、水が引くのも早いため集落として利用されてきました。

氾濫原には旧河道、旧河道が三日月湖として残ったもの、そして後背湿地があります。後背湿地は氾濫した水が湛水する場所で、いつも湿っています。だから、古来から水田として利用されてきました。そこに住むということは、どんな注意が必要か、わかりますね。

破堤後という地形がありますが、.洪水時に破堤すると、その出水のエネルギーによって凹地が形成されます。押堀と呼ばれ、大河川の周辺に今でも池沼として残っています。
4 古事記は日本の歴史の一つですが、古代の人が自然現象をどのように感じ、記載したかがわかることがあります。

八岐大蛇とは、土砂を大量に含んだ洪水、あるいは土石流だったのですね。娘は田畑のことを象徴しているのでしょう。
5 教科書の地形図をよく判読してみましょう。斐伊川が河道変遷を繰り返した後が残されています。河口付近の土地利用の区画、道路や集落で表された自然堤防。


平野の南側の水路は放水路として建設されましたが、土砂のため機能しなくなり、短期間で廃止になりました。現在の治水はどうなっているか、GoogleEarthでわかります。
6 斐伊川の土砂流送量が多く、暴れ川になった原因は、状流で“たたら製鉄”が行われていたからです。もののけ姫のたたら場は知っていますか。周囲の山地斜面の状況はどうなっていたでしょうか。

下の絵は近世のたたらの様子です。もののけ姫では女性がふいごを踏んで、空気を炉の中に送り込むことによって砂鉄が溶ける高温をつくりだしていました。
7 当時の製鉄の原料は砂鉄。砂鉄は花崗岩の風化土層にたくさん含まれています。だから、木を切り、土を掘って砂鉄を取り出したのです。木は燃料になりました。

土砂から砂鉄を取り出すのは比重選鉱で、下の写真のように水路に水と土砂を流すと砂鉄が集まってきます。これを鉄穴(かんな)流しといいます。
8 近世のタタラ製鉄所の分布です。近世とは江戸時代。

たくさんありました。斐伊川の上流にもたくさんあります。製鉄のための森林伐採と土砂の利用が川が荒れた原因でした。
9 川が大量の土砂を海まで運ぶことによって、沿岸に海岸平野が形成されました。人間活動によって形成された土地で、水害も引き起こしましたが、生産の場にもなりました。

なお、近年は山林が手入れされ、川が土砂を出さないようになり、外洋に面した海岸では、海岸侵食も深刻な問題となっています。
10 ここは教科書をよく読んでください。山の斜面はどうやって形成されるのか。斜面がヤスリで削るように少しずつ侵食されるのか。

頭で考える現象と、現場で起きている現象は異なることもよくあります。地理学の課題は現場でじっくりと対象を観察することから発想を得ることができます。

案外、世の中でも、現場に触れずに人が勝手に思い込んでいるものは多いものです。新型コロナ禍を通して、そんなものが見えてきませんか。
11 山地斜面では谷底を川が流れています。この川がヤスリやノコギリのように地面を削るというのはちょっと違うかも知れません。

洪水時に水流は谷底を下刻(かこく)しながら、側方の斜面基部を削ります。そうすると、斜面が不安定になって崩壊(崖崩れ)を起こします。川は崩れ落ちた土砂を少しずつ下流に運搬します。

山岳地帯では豪雨の後、河床が数十mも上昇することがよくあります。川は再び下刻を始め、土砂が運び出されます。川の作用はダイナミックなものです。
12 川の勾配はどうやって決まるのか。それは川が運ぶ水と土砂の量によって決まります。山地の侵食が激しくて流送土砂量が多い、また降雨が多くて水量が大きいという場合は、川は勾配を急にして運搬能力を自分で高めます。

だから、状流にダムができて土砂の量が減ると、もうそんなに土砂を運ばなくてよいのだと川は自分で判断し、勾配を緩やかにします。その時に下流では河床の低下が起きたり、逆に堆積により河床が上昇したりします。

都会に住んでいると気づくことはないかも知れませんが、川はダイナミックに自己を調整しています。
13 この様に、谷は堆積と侵食の繰り返しにより、谷底に河岸段丘を形成します。山地に行くと、山間の低地に田畑、住居が広がり、河床は一段あるいは数段低い場所にあることに気が付くでしょう。

その時は、川は生きているのだな、地形は少しずつ変わっているのだな、ということを感じてください。

なお、日本は湿潤変動帯ですので谷は埋積されて、堆積段丘が形成されますが、安定な大陸では侵食段丘が形成されます。例えば、朝鮮半島は大陸の一部ですので、そこを流れる大河川は長い年月をかけて谷底を侵食します。以外と谷底の堆積物の厚さは薄い場合が多いのです。
14 日本における代表的な段丘地形が片品川の段丘地形です。段丘の上に沼田城があり、ブラタモリでもやってましたね。

GoogleEarthで三次元表示ONにして、各地の段丘を見てください。
15 河岸段丘は流送土砂量が変化すると形成されます。流送土砂量が変化する要因は、①局地的な現象、②広域の現象、があります。

①の場合は同じ時代に形成された段丘地形が特定の地域にだけ分布します。その要因として崩壊や火山噴火が考えられます。

②の場合は同じ時代に形成された段丘が広域に認められます。その代表的な要因が数十万年単位で繰り返される氷期-間氷期サイクルです。
16 最新の氷期の最寒冷期はほんの2万年前です。その時、高山では氷河が形成されます。日本には大規模な山岳氷河は発達しませんでしたが、カール(氷帽)と呼ばれる小規模の氷河が形成されました。

北アルプスの薬師岳カールですが、スプーンで斜面をえぐった様な地形が数カ所見えます。2万年前、そこには小さな氷河があり、一年中雪氷で覆われていた。カールの下の急峻な斜面は夏には雪氷はなくなり、現在のヒマラヤやヨーロッパアルプスでおなじみの景観が広がっていたのだと思われます。想像しましょう。
17 北海道の日高山脈にもたくさんの氷食地形(カール等)が残されています。氷期には植生がなくなるため、侵食作用が活発となり、大量の土砂が下流に運搬されます。

下流では扇状地が形成されますが、それは現在では一段高く段丘化した地形面として残っています。
18 氷期には海水準が下がります。現在より100m程度下がっていました。だから、河口は現在より沖の海中にあったわけです。源流域では寒冷のためにたくさんの土砂が生産されます。それを運搬するために、氷期の河床勾配は現在より大きくなっていました。

氷期が終わると、海水準も上昇し、現流域の土砂生産量も減少するため、河床勾配は緩くなります。その結果、形成された時代の異なる段丘面が上流から下流方向へ向かって交差する事になります。

多摩川を例におると、二子玉川園あたりで氷期に形成された段丘面が現河床の下に潜り込みます。その延長は東京湾地下の古東京川に繋がります。
19 扇状地は千葉県にはありませんが、山地から川が平地に出るところに形成されます。

有名な扇状地をGoogleEarthで見てみよう。
20 扇状地は土砂を大量に含んだ洪水や土石流で形成されます。河道を変遷させながら土砂を運ぶため、長い年月の間に扇の形の地形を形成します。

扇状地がいくつも重なると複合扇状地として山麓に斜面が連続して形成されることがあります。たとえば、神戸は六甲山から流出する渓流が形成した扇状地が複合して斜面が形成されています。だから、昔の神戸は土石流が頻繁に発生しました。
21 扇状地が洪水や土石流で形成された証拠は扇状地表面の微地形に残されています。

これは黒部川扇状地の例ですが、河道が何度も変遷しながら扇形の地形面を形成したことがわかります。
22 日本では扇状地はどこにあるでしょうか。扇状地の分布には地域性がありますが、それは地域における山地形成の歴史、地殻変動、気候といった要因と関わっています。
23 ランドサット衛星による日本四島です。どこに、どんな、地形があるか。扇状地はどこにあるか、頭に入れておきましょう。

地域、日本、世界を考える時、白地図の上で考えない、地図(や画像)の上に、様々な属性(地形、植生、土地利用など)を置いて、人間との相互作用を考える習慣を身につけましょう。
24 扇状地に戻ります。扇状地に限らず、ある地形が存在することには理由があります。その理由を考えましょう。

では、なぜ千葉県には扇状地はないのでしょう。恐らく流域を構成する地質が砂泥で、川が粗粒な物質を運んでいないから、と説明できるでしょう。
25 小さな扇状地といえる“沖積錐”は重要な地形です。なぜなら沖積錐は土石流がつくった地形だから。

そこに沖積錐があるということは、いつか土石流が発生し、沖積錐の地形を造るということを意味しています。そこに人がいたら、人の暮らしがあったら、...災害になります。
26 足和田村(現在の富士河口湖町)で昭和41年に土石流が発生した根場地区と西湖地区の地形図です。流出家屋がプロットされたため、見難くなっていますが、沖積錐の上のあったに集落が被災しています。


ここで、“分家災害”というのは、天草水害の研究で明らかになりましたが、代々続く本家ではなく、分家が被災することが多いことを意味しています。昔は長男が家を継ぎ、次男、三男は都市へ丁稚奉公に行きました。現在では次男、三男も地元で暮らすようになり、本来ならば災害の脆弱性が高かった場所に家を建てて被災することが増えました。

古い集落で、昔から人が住んでいなかったのは理由があるということです。
27 足和田土石流災害は日本における土石流研究を深めるきっかけになりました。山地における土砂移動の成魚は“砂防”と呼ばれ、Saboという英語にもなっています。

治山治水そして緑化というのは明治以降の日本のお家芸として、世界最高水準の技術レベルを醸成しました。その知識、経験が市民に伝わっているだろうか。
28 山地斜面を丹念に観察すると、様々な微地形から構成されていることがわかります。平坦な尾根は古い時代に形成された地形の名残ともいえます(山頂平坦面)。尾根から少し身を乗り出して谷底を見ると、あるところから急に傾斜が急になっています(遷急線)。それは現在の気候条件のもとで侵食が及んでいる前線、“侵食前線”といえます。

侵食前線は新しい崩壊地の頂部と一致していることもわかります。崩壊地の下方には崩落した土砂がたまっています。斜面には亀裂が見えることがありますが、それは次に起こる崩壊の前兆を意味しています。

斜面全体は様々な時代に発生した崩壊地によって形成されています。古い崩壊地は植生が復活していますが、新しい崩壊地の中にはガリが形成されています。
29 山地における土砂移動現象には“地すべり”と呼ばれるゆっくりと土塊が移動する現象があります。その時間スケールは数時間から数万年です。

地盤は不安定ですが、山地における貴重な平坦地を提供し、村落や棚田として利用されています。
30 地すべりの模式図です。斜面が移動するときには円弧すべりといって、スプーンでえぐった様な土塊が移動する形態をとります。

土塊は亀裂(クラック)によって階段状のブロックに分割されますが、そこに棚田や池が造成することがあります。旧山古志村(現長岡市)の錦鯉栽培は地すべり地に形成された池を利用して行われています。
31 地すべりには様々な形態があります。長野や新潟をドライブすることがあったら、あちこちで地すべりに出会うことがあるでしょう。
32 地すべりは山地における普遍的な土砂移動様式で、地形変化を担う自然の営みともいえます。

この図は日本における地すべりの分布を示していますが、その分布には規則性があるように見えます。分布図に構造線(断層)を重ねるとどうも大断層に沿って地すべりが分布しているように見えます。それは破砕帯地すべりと呼ばれる様式です。
33 地すべりには大きく分けて、3つの様式があります。一番のメジャーは第三紀層地すべりで、日本列島が形成された中新世という地質時代に噴出した火山灰が滞積している地域です。東北地方や新潟、長野にたくさん見られます。

破砕帯地すべりは中央構造線い沿って典型的なものが見られます。四国の祖谷渓には地すべりがたくさんあります。
34 第三紀層地すべりの例です。山塊の中腹から川にかけて棚田がたくさんあります。複数の地すべりブロックが形成されて、少しずつ移動しています。

写真を見てもわかるように、地すべりは風光明媚で日本の典型的な山村の景観を呈しています。
35 破砕帯地すべりの例です。地すべりブロック下部には土留めが施され、パイル(大きな釘のようなもの)が打ち込まれて、地すべりを止めています。

写真中央の施設はおそらくプレートライナーと呼ばれる水抜き井戸です。地すべり対策の基本は水抜きですが、井戸の掘削はかつては家族経営の鑿井業者がたくさんあり、地域の暮らしを支えていました。
36 第三紀層地すべりの例です。亀の背地すべりは下部を関西本線(大和路線)が走り、明治時代から地すべり対策工が行われている伝統ある地すべりです。
37 写真上がすべり発生前ですが、すでに地盤が動いていることがわかります。水田が傾いてるからです。

写真中はすべり発生後ですが、山地斜面上部に滑落崖が見えます。滑落崖はすべり面が地表に現れたもので、地下に連続し、すべり面の上がゆっくり移動しました。
38 崩壊を起こしやすい地質に花崗岩があります。花崗岩は地下でマグマがゆっくり冷えて固まったもので、億年単位の永い時間をかけて地表に現れたものです。

そのため、深層風化によって表面にマサと呼ばれる風化土層を形成し、崩壊が起きやすくなっています。また、森林伐採によってハゲ山化しやすい地質です。
39 花崗岩は大きな岩体を形成します。日本における花崗岩の分布地域では、それぞれの地域における人間との相互作用により、様々な地域性(地域の特徴)が存在します。

西日本の花崗岩分布域では古くからの人間活動により、山が荒れた地域があります。琵琶湖南岸の田上山地では京都・奈良の建築用として材木が切り出されたため、ハゲ山化しました。現在の森林に覆われた田上山地は近代に入ってからの保全活動によります。ハゲ山になったため、山地からの土砂流出により河川は天井川化し、鉄道が川の下をトンネルで通過しているところもあります。
40 斜面災害、すなわち崩壊(崖崩れ)や土石流は、豪雨や地震(誘因あるいはハザードといいます)が引き金となって発生しますが、山地斜面の性質が素因となって発生しやすくなります。素因には花崗岩地帯であること、森林の保全がされていないこと、といった様々な素因があり、それは地域に固有のものです。

確率雨量は最近よく聞くと思いますが、100年に1回、200年に1回というのは再来周期ではなく、ハザードの規模であることに注意してください。
41 崩壊は斜面で発生します。では、日本における急傾斜崩壊危険地はどれくらいあるか。この図が示していますが、この場合、危険というのは斜面の下に人の暮らしがあるということです。法律で定められた規模の世帯が斜面の下にある場合、行政が指定するもので、潜在的な崩壊発生予測地はどこにでもあります。
42 斜面の侵食は植生に防止効果があります。斜面の植生は適切に保たなければなりません。日本では治山、緑化の技術は進んでいますので、適切に適用していくためには市民の理解が必要です。ここにも皆さんが大学で勉強する意味があります。
43 中国の黄土高原です。侵食されやすい土壌でできているため、リルやガリが発達して、人間の利用を拒んでいますが、流水による侵食を防ぐ段々畑の光景も見えます。厳しい環境ですが、人の暮らしはあるのです。

黄土高原も1000年以上前には草原、森林が存在し、家畜を養うことができたため、モンゴル帝国が中原に進出した理由であるという歴史学者による仮説もあります。
44 山地斜面が裸地化する原因は多様です。様々な事例の中でも足尾銅山による植生の枯死は有名ですが、銅山運営がもたらした渡良瀬川下流域の鉱毒事件は日本の歴史に記された最初の公害でもありました。

田中正造について調べてください。
45 裸地に降った雨が表面流を形成すると、大量の土壌が失われます。耕地では生産力が減退します。

この図は、Rappほか(1972)による有名なダイアグラムです。どのような土地利用で土壌流亡量が多いか、わかりますね。

土壌流亡は1930年代のアメリカ中西部では深刻な問題でした。ダストボウルが発生し、土地の生産性は失われ、家族農業が企業的な大規模農業に取って代わられる契機となりました。その時代の物語がスタインベック著「怒りの葡萄」です。一読をお勧めします。
46 山地は主に時々起きる崩壊によって、人生より遙かに長い地質学的な時間をかけて解体されていきます。それでも、長年観察していると変化の動態がわかります。

日本は戦後アメリカに占領されており、空中写真の撮影は禁じられていました。その後、主権回復とともに国土管理のために撮影できるようになりましたが、1962年の空中写真は戦後の初期のものです。その後、繰り返し撮影されるようになり、山地の様子もだんだんわかるようになってきました。
47 日本にはダムがたくさんあり、電力会社、経産省(発電ダム)、国交省(治水・利水ダム)、農水省(利水ダム)などで管理されてデータがきちんととられています。

堆砂量の情報を使うと、流域平均の地形変化量を求めることができます。その値は多いか、少ないか。年間数mmというのは、とても大きな値であり、湿潤変動帯である日本の特徴となっています。
48 有名なダイアグラムです。日本の侵食速度が世界と比べて大きいことがわかります。それは地殻変動が激しく、降水量が多いという特徴の反映です。

世界で同じ特徴を持つ地域では、やはり侵食速度は大きくなっています。たとえば、ニュージーランドですが、インドネシアのデータが出てくると、侵食速度は大きくなると予想できます。
49 侵食が起きる原因は、そこに山があるから、ということができます。山があるのは、そこが隆起しているから。隆起しているのはプレートの運動による。

大地は生きています。
50 山地形成はこの図のように考えることができます。それぞれどの地域を模式化しているか、調べて、GoogleEarthで見てください。

例えば、別府から雲仙にかけて温泉がたくさんありますが、正断層による地溝の弱線からマグマが上昇してくるので火山が並び、地下水が熱せられて温泉になります。
51 このランドサット画像は④に相当します。良く見ると、北東-南西方向と、北西-東南方向にリニアメント(直線上の谷)が見えますが、それは本州が東西に圧縮されていることを意味しています。

豆腐をまな板の上に置き、両手でゆっくり圧縮すると、×の割れ目ができると思います。
52 最近はGoogle等で世界の地形を見ることができるようになりました。

そこで何が起きているのか、地理学を勉強してください。人生を豊かにするだけでなく、災害を予見することもできるようになります。
53 地形が変化すると同時に、水系も変化します。この図は砂槽実験によって得られた結果ですが、実際の地形も概ねA~Fの順で変化すると考えられます。もちろん、例外もたくさんありますので、あくまで模式図として理解してください。
54 これは元になった実験の写真です。何となく地形変化の有様が想像できるようになりますね。
55 これは山地の変化を概念的に示した図です。平らな地表面が隆起を始め、やがて隆起が止まる。その間に地形がどのように変化するか、演繹的に描いた図です。

様々な仮説に基づいていますが、実際の地形をうまく説明することができます。
56 私たちは46億年の年齢を持つ地球に暮らしています。今、目にすることができる地形でも数百万年の歴史を持っています。

その歴史を知ることは、人と自然の良好な関係を構築するための必要といえないでしょうか。