環境のリモートセンシング 世界の諸地域の暮らし Ⅱ 湿潤地域

1 乾燥・半乾燥地域について学びましたので、次は湿潤地域についてお話をしたいと思います。湿潤というか、私たちのアイデンティティーでもあるモンスーンアジアについて話をします。

写真はインドネシアのボゴール農科大学のガムラン部の学生たちの演奏です。いつかバンドンで列車を降りたら、ガムランを演奏しており、それ以降ガムランにはまってしまいました。あのゆったりとした音の調べがたまりません。

インドネシアはギターも結構造っていて、ヤマハも工場を持っていると思います。昔買ったフェンダーのミニギターもインドネシア製でした。こちらの音楽はクロンチョン・モリッコといって、緩い感じの心が落ち着く調べです。
2 人間の考え方というのは、生まれ育った地域の気候をはじめとする地理に大きな影響を受ける。和辻哲郎の「風土」や、鈴木秀夫の「森林の思考・砂漠の思考」で論じられている。よって、地域区分は地理学における基盤的な課題であった。

榧根(1972)は水収支に基づくモンスーンアジアの水収支を行った。当時は現代のようなコンピューターもなく、大変な作業だったと思うが、1500カ所を超える観測所のデータからソーンスウエイト法で蒸発散量を計算し、降水量とあわせて水収支を計算した。

日本の河川の基底流量はだいたい1mm/yである。よって、湿潤地域では400mm/y(≒365mm/y)の地下水涵養用があるとすると、半乾燥地域では200m/yの涵養量となる。そこで、年単位で水不足のない地域、水過剰がない地域、水不足が200mm以上の地域に分類した。この分布図はモンスーンアジアの特徴をうまく表現している。
3 全ページの分布図から何が読み取れるのか。高校の地理の教科書をもう一度出してきて、地域ごとの気候や生活文化について見直してみよう。

ソーンスウェイト法やブックキーピング法については下記の「地表面における水とエネルギーの分配」の項目を参照してください。
http://www.cr.chiba-u.jp/~klab/edu/lec/hydrology/index.html

極めて単純な方法ですが、水収支の本質が表現できているため、世界の水収支の特徴を描くことができました。
4 ソーンスウエイトは気候学者で、水収支に基づく「世界の気候区分」が夢でした。その夢は Legetes and Mather(1992)が実現しています。

青枠の中は重要です。自然を認識するときに、モデルをどんなに複雑にしても精度が上がるわけではない。自然の本質を見極める眼こそ重要である。

皿の話は著名な物理学者の言葉ですが、榧根先生が引用しています(どこに書いてあったのか、忘れてしまったのですが)。
5 これは当時のモンスーンアジアの年降水量分布です。ここから各地域の降水量の特徴と“風土”との関係を読み取ることはできますか。

現在のイメージと、本来の気候はずいぶんと異なることもあります。たとえば、“東南アジアは湿潤で一年中稲の栽培ができる”、という言説は緑の革命がもたらした近年の状況です。
6 これはソーンスウエイト法で計算した年可能蒸発散量の分布です。

可能蒸発散量というのは、十分に水が供給されたもとで起こりえる最大の蒸発散量です。それはエネルギー(正味放射量)との相関が高くなることは容易に想像できます。

乾燥地域で、蒸発(散)すべき水がなければ、蒸発散量は抑制されます。使わなかったエネルギーは地面と空気を暖めることになるので、乾燥地域は一般的に暑くなります(乾燥地域といってもそうではない地域があることに注意)。
7 年間の水不足量の分布です。日本は水不足がない、湿潤地域であることがわかります。

ここからどんな特徴を読み取ることができますか。水不足地域の大きな地域はどこですか。水不足の大きな地域と小さな地域との関係はどうなっていますか。
8 ソーンスウエイト法ではブックキーピング法を併用することにより土壌水分不足を表現することができますので、実蒸発散量を計算することができます。

実蒸発散量の最大値はどれくらいですか。実情発散量の絶対値の分布はどうなっていますか。年降水量と比較すると、どんなことがわかりますか。
9 最終的に得られたモンスーンアジアの地域区分です。あなたの想像と異なっていましたか、それとも想像通りでしたか。

湿潤だと思っていた地域でも、意外と水不足の大きな地域があること(あるいはその逆)に気が付くと思います。それは降水量の地形効果や、人間の水資源獲得の努力によるものといえるでしょう。
10 自然を認識しようとするとき、難しい物理を使って、微分方程式をたてて、解こうとする方法があります。それも一つの方法であり、チャレンジです。

しかし、自然の本質を見抜き、それを表現するモデルを構築できれば、単純だけれども本質を理解することができることもあります。自然は複雑です。しかし、うまく扱ってやれば意外と素直な側面を見せるものです。

自然の本質を見通す力を養ってほしいと思います。そのためには世界各地を旅するのが一番だと思います(なるべく田舎を)。
11 榧根(1972)のモンスーンアジアの地域区分は、この地域を理解するベースとなる成果です。しかし、入力データや手法は時代とともに進歩します。

そこで、新しく使えるようになったグローバルデータセットと、コンピューターの進歩が可能にした新しい計算法で、アジアの水収支マップを計算し直しました。

古典的な課題に、新しいデータ、新しい手法で、再度取り組み、新しい認識が生まれれば、それはオリジナリティーになります。
12 1980年代からグローバルチェンジ-地球規模の環境問題-が人類にとって喫緊の課題として認識されるようになりました。

それに応じて、先進国は誰でも使えるデータセットを作成し、無償で公開するようになりました。

実は、アメリカは税金で作ったものは人類全体の財産だという思想で取り組みましたが、日本やヨーロッパは税金で作ったものをそう簡単に使わせるか、という雰囲気でした。しかし、世界は少しずつアメリカ方式に変わってきました。ただし、これからどうなるkわかりませんね。
13 これは世界の土壌水分貯留量マップですが、作成には大変な努力と時間を要したと思います。

今、こんな立派な仕事はできますか。大人の事情ですが、研究者は年間に何本も論文を生産しなければ生き残れません。時間のかかる仕事はやってられないのです。

世界は進歩を続けるというのは一神教の欧米思想です。進歩の本当の意味を問い直さないといけませんね。
14 これは蒸発散量の計算方法です。難しいのでホームページにリンクしhた文献(Kondoh,1995ab)を参考にしてください。

一見格好良いでしょう。様々な経験式を組み合わせていますが、経験式というのは、その式が導出されたもとになったデータがどこのものなのか;ということを吟味して、適用可能性をチェックしなければいけません。

余力があったら、近藤(1994)を読んでください。
15 これが計算で求めたアジアの可能蒸発散量です。あくまで可能蒸発散量であり、実蒸発散量ではありません。

難しいかも知れませんが、酷暑の沙漠で水をまいたらとめどもなく、水は蒸発するでしょう。これが可能蒸発散量です。

一方、広域の地表面から蒸発散が起こることにより、大気が湿潤になると、ある段階で蒸発散は止まります。これが実蒸発散量(地域蒸発散量)です。
16 これは可能蒸発散量を実蒸発散量に変換するアルゴリズムです。ソーンスウエイトのブックキーピング法をコンピューターでグリッドごとに計算する方法です。

概念さえ理解できればOKです。実際の計算はモチベーションが高まらないとやる気にならないでしょう。逆にモチベーションを高めることが仕事を成功させる鍵でもあります。

計算方法はKondoh(1995ab)にあります。Tryしてみますか。
17 これがモンスーンアジアの実蒸発散量分布です。先の可能蒸発散量分布の図(15枚目)と比較してみてください。

蒸発散が大きく抑制されているところは水不足が生じる地域です。モンスーンアジアといっても、水利用のあり方(availability)には地域で大きな差があることがわかります。
18 得られた結果を使ってモンスーンアジアの地域区分を行いました。

その基準は榧根(1972)の200mmの基準です。ざっくり区分すると、1) A:年間を通じて水余剰 2) B:水余剰と水不足の月があり、水余剰の方が多 3) C:水余剰と水不足の月があり、水不足の方が多 4) D:年間を通じて水不足、となります。
19 これがアジアの水文地域の分布図です。

まず、この図をじっくり眺めて、何が言えるか、考えて見ましょう。英語で inspection と言います。徹底的に観察することによって、見えない何かが見えてきます。

最近の論文の傾向として、複雑な計算をした結果を分布図にしても、そこから重要な情報を抽出していない論文がたくさんあるように思います。包括的に、総合的に、あらゆる知識、経験を総動員して分布図を読み取る習慣は、社会を生き抜いていく力にも通じているような気がします。落とし物をしないでください。
20 近藤はモンスーンアジアにおける乾燥と湿潤の近接性に注目しました。この研究は2003年に琵琶湖、淀川流域で開催された第3回世界水フォーラムの「アジア・太平洋の日」で講演しました。

アジアで開催される世界水フォーラムで、多くの方々の関心は "too much water issue"、すなわち洪水にありました。そんなことはなく、水不足問題も大切なんだということを主張しました。

例えば、中国の南水北調プロジェクト、タイ、チャオプラヤ川の渇水問題、知っておかなければならないことはたくさんあります。
21 ここに、近藤の意見を纏めました。

ヨーロッパやアメリカでは南に進む(それは植民地経営と関連していました)と、乾燥地域があります。日本からは南に進むと高温・湿潤になります。アジアの水文学は湿潤地域の水文学として発展してきました。

モンスーンアジアの様々な地域の固有の水問題についてはたくさんありますが、それはまた別の機会にしましょう。
22 河川の話をしましょう。河川には洪水制御と水資源確保の二つの課題があります。洪水は短期流出、水資源は年単位以上の長期流出の課題といえます。

20年くらい前ですが、PUBというプログラムが行われました。実は水文観測は時代とともにデータが集積され、充実していくと思うかも知れませんが、実は90年代以降、水文観測ネットワークは縮小しています。ソ連の崩壊、不況、いろいろな要因がありました。

でも、モデルで予測ができるのではないか、というモチベーションで始まったのがPUBでした。パブはイギリスの飲み屋ですので、各国で酒にちなんだプログラム名が付けられました。我が日本はもちろんSAKEです。Science Adveture for Knowledge Evolutionだったかな?当時ポケモンアドベンチャーが流行っていましたので。
23 日本が対象とするのはこのGoogleEarth画像で示したアジア太平洋地域です。その時の成果として各国の河川カタログを作るという作業がありました。近藤は利根川を担当しました。

http://hywr.kuciv.kyoto-u.ac.jp/ihp/japan/riverCatalogue.html
24 水資源予測のためには長期流出の解析を行いますが、基本は水収支です。短期流出(洪水)の場合は数日程度の短期の流出で、流域内の降雨-流出過程の時間遅れの解析が重要になりますが、1年以上を対象とする長期流出は基本的には水収支です。

そこで、ここに示した流域を対象として、流域ごとの水収支の解析を行いました。アジアの大河川、みんな知っていますか。
25 その結果がこの表です。各流域の中にA~D地域がどのくらい含まれているかを計算しました。また、年間の水収支も計算しました(気候値として)。

黄河、長江は大河川ですが、年間の水収支は負です。2000年頃まで黄河は水利用のために流水が渤海湾まで到達しない“断流”という現象が頻発していました。

この表からアジアの大河川の流出特性を読み取ることができます。これはグローバル人材にとって必須の知識ですよ。
26 海河は華北平原を流下し、天津で渤海に流出する河川です。海河と黄河の月ごとの水収支をみると、初夏にマイナスになっていることがわかります。春から初夏は乾季ということができます。

この時期に冬小麦の灌漑のために水需要が増大します。それにより、流量の減少や地下水位低下が起きていました。水問題も流域の特徴を知ると良く理解できます。

長江や珠江(広州で南シナ海に流出)の水収支も良く見て、次のメコン川やチャオプラヤ川と比較してみましょう。
27 モンスーンの雨季がある湿潤地域を流れる大河川は最大流量が大きいですね。しかし、メコ川ンやチャオプラヤ川でも水収支がマイナスになる時期があることに注意してください。

チャオプラヤ川流域は水が豊富で年間を通して水稲栽培が行われている、というと誤りではないのですが、それは1960年頃に上流に建設された大ダムによって乾季でも灌漑が可能になったからです。

さすがにバリト川は水収支がマイナスになる月はありませんが、熱帯雨林地域でも年間の水収支(流量)は変動していることに注意してください。
28 これは気候値(長期間の平均)としての河川の流量の季節変化です。

これまでに示した水収支の計算結果と外形はよく合っていることがわかります。水の量と、その季節配分は流域の水収支によって決まり、それが地域の暮らしのあり方とも関わっていました。
29 結論を書きましたが、水問題は地域性があります。普遍的な知識では地域の問題は理解すらできないかも知れません。地域ごとに様々な事情があるからです。その事情は自然的側面と人間的側面の両方を含みます。

千葉大学が目指すグローバル人材は世界の地域を包括的、総合的な視点から俯瞰し、地域ごとの事情を理解できる人材といえます。

皆さんにはできる限り、世界を、それも田舎を旅して、地域の人と自然を感じてほしいと思います。
30 【閑話休題】 これまで蒸発散量の話をしてきましたが、世界の蒸発散量分布はわかっているのでしょうか。

これは古典的なBudykoの分布図です。Budykoは旧ソ連の水文学者で、ソ連の水文学のレベルは非常に高く、アメリカはSoviet Hydrologyというソ連の水文学研究を英訳したジャーナルを出版していました。

1963年の報告ですが、当時世界図を作成できたということはすごいことだと思います。ただし、若干過小評価かも知れません。
31 蒸発散量の実測は実は非常に難しい試みです。先に述べたように、可能蒸発散量と実蒸発散量は等しくならず、微気象観測タワーによる計算もありますが、実は必要な境界条件(広大な均質は地表面)を満たすことも難しいこと、実際の地表面は複雑、風によりエネルギーが外からやってくる、といった問題があります。

確実な方法は流域の水収支の残差から求める方法です。いくつかの実測値のとりまとめがありますが、どうも(実)蒸発散量の上限は1500mm/y程度のようです。

また、降水量が増えるということは、雲量が増えて、正味放射量が減りますので、降水量が多くなると蒸発散量が少なくなる現象もありそうです。
32 実測が難しいので、モデル計算で蒸発散量を求めますが、その計算式の中には経験式が含まれます。経験式はそのパラメーターを使った地域だけでしか精度が保証されないという問題があります。

例えば、ソーンスウエイト法は北アメリカ、中緯度のデータを元に作成された経験式ですので、実際には世界に適応するには問題があります。ソーンスウエイト法は気温から可能蒸発散量を計算しますが、中緯度では気温が正味放射量と相関が高いという暗黙の前提があります。気温と正味放射量の相関が低い低緯度ではあまりよく合いません。

モートン法は優れた計算式ですが、低緯度で過大評価しているのは、式の中の経験式の導出に低緯度のデータを使っていないということがあります。興味を持った方は文献を参照してください(例えば、近藤、1994)。
33 地球上の水循環はモデルで簡単に予測することができるでしょうか。科学が進歩した現在、それも可能かも知れません。しかし、モデルがどのスケールの現象を再現しているのか、吟味する必要があります。

近藤は流域スケールの水文学者ですので、流出解析の話をします。長江やメコンといった大流域の流出計算と、面積数km2程度の山地流域の流出解析ではどちらが簡単でしょうか。それは大流域です。流域が大きくなると、“水は低きにつく”という普遍的な原理が流出を支配します。

しかし、小流域では地形、地質、植生、土壌の構造、それらの不均質性に依る流出の遅れが複雑に関係し合い、その結果生じる不均質な水の流れをモデルの中で積分しなければなりません。

現象理解を試みるときの、スケール感は大切にしてください。