環境のリモートセンシング 世界の諸地域の暮らし Ⅰ 乾燥地域

1 グローバル人材とは何か。英語ができること、英語の論文をたくさん書くこと、外国(の都市)に行くこと、国際ビジネスマンになること、なんて事ではないだろう。

自分の暮らす地域とは異なる環境(人と自然の関係のあり方、そこから生じる精神的習慣)を理解し、様々な考え方を理解し、諒解を形成することができる人材だろう。

だから、乾燥地域は日本の気候と大局的な地域として、理解しなければならない。
2 ここでは乾燥・半乾燥地域に注目したい。乾燥・半乾燥地域は世界のどこにあるか。意外とその範囲は広いことに驚くだろう。

そこで多数の人の暮らしが営まれている。食糧生産という観点からは乾燥・半乾燥地域は人類のフロンティアでもある。乾燥・半乾燥地域の環境問題を解決できるかどうか、が増加する人類の未来の鍵を握っているといっても過言ではない。

乾燥・半乾燥地域は脆弱な地域であるが、人の暮らしがあり、幸せがある。このことを認識することが環境学を志す者の基本ではないだろうか。科学者が冷たい第三者にならないように。
3 日本砂漠学会では沙漠の漢字を充てるが、砂漠と同じ。水が少ないという意味。

沙漠的な景観は日本にあっても、沙漠は日本にはない。水収支が正であるから。

鳥取砂丘の景観は昔の日本にはたくさんあった。特に日本海側の海岸平野では。近世では苦労して黒松を植栽し、砂を止めて新田開発を行った。それは山の植生のあり方とも関連する。
4 沙漠にもいろいろある。人生もいろいろ。中国語の荒漠を使う方が良いのではないか。

ところでカバーに使った右上の写真はどこでしょうか。アジア、それともアラブ?

ラクダが一コブなので、アラブでしょう。手前に水が流れています。実は沙漠にも水はある。UAEに行ったときに実感しました。砂丘を掘ると中はしっとり湿っている。宅地造成で砂丘を切り崩したところは、水でベチョベチョでした。

ただし、UAEからサウジ方向に向かうと確かに乾燥の程度が進んでいることが砂丘上の植生の現象から感じることができました。
5 これはゴビ沙漠です。トルファン盆地の南側、アイディン湖の南岸辺りです。

地表には礫がありますが、その下は砂でした。礫は教科書に載っている三稜石の形状を示すものが多い。足首あたりまで風に乗った砂があたっていることがわかる。その砂に磨かれ、あるとき転倒する。そうすると三面がつるつるな石ができあがる。

左上の写真に見える稜線の向こう側はタクラマカン沙漠。
6 沙漠の砂丘は本当に美しい。1996年にUAEを訪問したときのドライバーはイギリス人でした。砂丘の美しさに魅せられ、旅行会社を経営しているのだそうだ。沙漠の中のキャンプ。いつか体験したいことの一つだった。

日本とは異なる気候、社会の中に自分を置いてみることは、若者が未来をどうしたのか、どうするのか、を考える最も基本的な体験です。環境、すなわち人と自然の社会の関係性、そのものを感じてほしいと思います。

均質化が進んだ都市を体験することでは不十分です。グローバル人材に関連して平田オリザ氏が言ったそうです。例えば、ユニクロのシンガポール支店長は優秀でしょう。皆が目指すロールモデルになるかも知れません。しかし、シンガポール支店長は一人しか必要ありません。さて、皆さんはどんなキャリアを目指しますか。
7 沙漠は本当に美しい。しかし、人が住むと様々な改変が生じる。向こうに見える植生は、森林公園。地下水で灌漑して維持している。アラブの方々も緑は好きなのだ。しかし、持続可能かどうか。

地下水管理に関して、日本人が制約的な管理方法を提案すると、あまり喜ばれない。欧米が、低下する地下水には強力な水中ポンプ、塩水化には逆浸透膜による淡水化を提案すると採用される。背景にある思想は何か。それは持続可能か。

アラブ人にはいずれ沙漠に帰るという人生観がある。贅沢の後の身の振り方に対して覚悟があるということか。しかし、最近のサウジアラビアの政策を見ると、国対国の関係ではそうも言ってられないという危機感が感じられる。
8 日本に一番近い沙漠はどこか。時間距離では河北省の天漠だろう。ゴビから続く乾燥地域の南端である。日本から北京まで3時間、そこから高速道路で2時間くらいではないだろうか。八達嶺の万里の長城から北方に見える盆地の中にあります。

距離では、ホルチン沙地だろう。GoogleEarthで確認してみよう。砂丘の分布から砂の給源、移動方向がわかると思います。
9 天漠の位置は矢印。ホルチン沙地は、その右側のベージュ色の部分。飛行機で飛ぶだけなら、2~3時間の距離に沙漠はあるのだ。

ホルチン沙地は日本人研究者による乾燥地研究の成果も多い。探してみよう。「沙漠研究」の検索から入るとすぐに見つかると思う。

この画像の範囲の中には、いろいろな地域の乾燥・半乾燥地域だけでなく湿潤地域、熱帯雨林あるいはステップ、北方林(ボレアル、タイガ)も含まれる。地球表面の多様性も実感してほしい。
10 沙漠はどこにあるか。手っ取り早いのがケッペンの気候区分である。この図の発色は良くないので、手元にある(はずの)高校地図帳を見てほしい。

沙漠気候だけでなく、ステップ、サバンナ(英語の発音ではサバナ)を含めると陸域の広い範囲を占めることがわかる。もちろん、沙漠や草原の暮らしは都市と比べるとそれなりに厳しい。しかし、そこには幸せもあるだろうし、何より都市文明が乾燥・半乾燥地域から資源を収奪するだけではだめだと思います。さあ、どうしますか。
11 なぜそこに沙漠があるか。理由があります。これは高校地理の知識ですので復習してください。

そこが沙漠であるということは必然的なことです。かつて20世紀には沙漠の緑化が計画されたこともあったが、それはコストがかかり、維持困難な事業であった。

沙漠緑化とは、本来ステップかサバンナであるところが人間活動により“沙漠化”してしまったところで行うものである。
12 世界の沙漠の分布。異なる呼称もあるので注意。

それぞれの沙漠の成因を説明してみよう。成因は一つだけではない場合もある。
13 初めて沙漠に行ったとき、それはUAEであったが、砂丘の美しさには感嘆した。夜ともなるとランプからジーニーが出てきそうな気がしてしまう。

砂丘は(砂の供給量と)風向との関係で、複数のタイプに分類できる。それは、砂丘の形を見ると、卓越風向がわかることも意味する。
14 典型的なバルハン型砂丘。卓越風向は左上から右下である。風下側に向かって開くクレスト、風下側斜面の勾配は急である。UAEではこの急斜面をランドクルーザー(トヨタの四輪駆動車)ですべり降りた。ドライバーの技量(趣味ともいえる)である。

風下側斜面を下ったところには大抵、オアシスか井戸があった。それは地下水流動系で説明ができる。地域の住民は経験的知識をちゃんと持っている。

沙漠の中で群れで移動する野生のラクダを見たことがある。ラクダはどこに水があるかを知っているのだ。
15 縦列砂丘の例。風向が90度以内で季節変化するところで形成される。

大規模な縦列砂丘はタクラマカン沙漠にある。砂丘の間に沙漠横断道路が建設されている。
16 星形砂丘はUAE、ア・ライン(UAE)の南方で見たことがある。GoogleEarthで見てみよう。沙漠の事典(丸善)の“リモートセンシング”の項にも星形砂丘の画像を入れました。

砂丘というと風による地形変化が激しいと思うかも知れないが、大規模なものは以外と変化は小さく、砂丘には地名も付いているそうだ。
17 サハラ砂漠をGoogleEarthで見てみよう。規則正しい模様が見えるが、そこから砂の輸送方向がわかる。サハラの砂はエジプト付近が起源で、西方に運ばれているという。これこそリモートセンシングの応用である。

モーリタニアでは、砂に埋もれる村の写真が有名であるが、砂の輸送方向がわかると、さもありなん、ということがすぐわかる。それは宿命でもあるが、砂を止めていた植生をやむを得ず破壊してしまったために、砂の移動が活発になってしまったためともいえる。

なお、中央の山岳地域はタッシリ・ナジェール。緑のサハラの時代を描いた壁画が残されている。
18 GoogleEarthからのコピー。規則正しい砂丘のパターンが見える。

そこからどのように卓越風向を読み取るのか、調べてほしい。それは経験的知識。決して理論がわかったから、応用できるものではないと思う。

普遍性あるいは理論信仰といったものが、科学者の自然認識能力向上に対する障壁になっていないか。経験的知識はもっと大切にすべきものだと思う。科学者の語る自然がヴァーチャルなものになってしまっているように感じます。
19 沙漠を含む乾燥・半乾燥地域はダストの供給源になっている。日本に襲来するダストとしては黄砂が有名。世界には様々な地域特有のダストがある。

最近のダストの問題は土壌起源の鉱物粒子の飛散(アウトブレーク)だけでなく、エアロゾル研究とも関連し、工場、鉱山起源のエアロゾルの発生、作物残渣の燃焼による大気汚染、といった環境問題とも関連している。

黄砂は日本におけるパイオニア研究がある。いくつかのプロジェクトがあったが、入門書をHPで紹介します。
20 地域を理解するということは、地域の地史、歴史を知るということでもある。サハラ砂漠はどのような地史を経てきたか。

氷期・間氷期サイクルについては勉強していると思います。約2万年前が前氷期の最寒冷期、約1万年前に氷期が終わり、急速に温暖化が進み、気候最適期、ヒプシサーマルと呼ばれる温暖期を迎えた後、現在に至ります。

中緯度では気温の変動が重要であるが、熱帯では乾湿の変動として顕れた(故門村浩先生の研究、篠田雅人「砂漠と気候」から引用)。
21 GoogleEarthは我々を世界のいろいろな場所に誘ってくれる。サハラの画像を表示して、左の図と比較して、最終氷期の最寒冷期の状況を想像してみよう。

赤道付近に分布する熱帯林はどんな状況だったか、その周辺のサバナ(サバンナ)はどうなっていたのか。過去の名残が地形に残っていないか。調べて見よう。
22 今は沙漠が広がるサハラにもかつて「緑のサハラ」と呼ばれる時代があった。人間の人生に比べて遙かに長い時間スケールでは、今の景観とは異なるもの、生態系があったことに感動しませんか。

タッシリ・ナジェールで検索してみてください。
23 GogogleEarthの画像ですが、自分でじっくり観察してみよう。

画像を判読するときは、外形的な特徴だけでなく、地史、歴史を考え、さらに人の暮らしや生態系の存在を意識しながら観察すると良い。

環境を理解するということは、様々な関係性を見つけ出すということでもあるので、画像の背景にあるもの、こと、画像に顕れているものの意味を考えることが大切だと思います。
24 “沙漠”と“沙漠化”の違いの理解は乾燥・半乾燥地域の理解における要です。

沙漠は必然、沙漠化は人間活動が関わります。
25 サヘルとはサハラ砂漠南縁に広がる半乾燥地域です。半乾燥地域とは一年の内に雨季と乾季が交互にやってくる地域ですが、原末名定義は調べてください。ステップ、サバナはどこにあり、どのような成因で成立するか。

サヘルは脆弱な自然に対して(曖昧な表現ですが、生産性が低いという言い方もできます)、人間の働きかけが強くなりすぎ、何度も深刻な飢饉を経験してきました。

その要因は何なのか。自然要因と人間要因の両側面から捉える必要があります。この視点を身につけてください。
26 この画像を表示してください。少し古いのですが1990年のNDVI(正規化差植生指標)の年間の変化を表示します。緑が濃いほど植生が多く、茶色は植生がないことを意味します。

サヘルの辺りを注目してください。緑と茶、すなわち雨季と乾季が交互にやってくることがわかります。世界のいろいろな地域で植生の季節変動を観察してください。日本は一年中植生がありますが(積雪期間は植生がないように見えますが、常緑針葉樹はありますね。落葉樹でも葉っぱがないだけです)、それは世界の中では当たり前ではないのです。
27 サヘルでは20世紀に何度も深刻な干ばつ、飢饉に見舞われています。その時期は降水量が少ない時期に対応しています。雨が少ないと食糧生産量も少なくなります。湿潤な時期に人口が増えると、干ばつの時にその人口が養えなくなってしまいます。

もちろん、UNICEF等の国際機関の支援活動もあります。しかし、政情不安、紛争、インフラの未整備、等の様々な要因により十分な支援ができない事もあります。

飢饉は現実であり、テレビやパソコンのスイッチを切っても、現場に問題が存在し続けます。
28 内陸湖は気候変動や人間の水利用によって水収支が変わると、その変化は湖の面積として顕著に顕れます。

1963年の画像はアメリカの偵察衛星です。宇宙から写真を撮影し、フィルムをカプセルに入れて放出し、回収したものです。宇宙からの画像は1960年代からあることに注意してください。1973年の画像以降はランドサット衛星です。

フォールスカラー表示で、植生が赤く表現されていますが、水体の面積が縮小していることがわかります。もともと水体だったところは土壌水分があるため、植生(作物)が繁茂しています。
29 1990年頃のチャド湖です。植生を緑で表現してあります。植生のその側には砂丘が迫っていることがわかります。

GoogleEarthでも確認してください。カメルーン、ナイジェリア、チャド、ニジェールの境界付近に位置しています。

現状に関しては調べてください。WEB記事や論文があります。同じ問題を抱える世界の湖沼について調べてみよう。背景にどんな人間要因があるのか、それは解決可能なのか。
30 沙漠化の定義は沙漠化対処条約にあります。27枚目のシートを参照してください。

沙漠化は気候的要因もありますが、ほとんど人為的要因が原因であると考えられています。人為的要因とは主に4つあります。乾燥・半乾燥地域の問題なので、ステップの草地を使う過放牧が一番劣化面積が大きくなっています。

沙漠化はフロントを持ちながら、徐々に迫ってくるというものではなく、地域ごとの要因によりあちこちで土壌の劣化が発生する形で進行します。

沙漠化は防ぎ得ないものではなく、人間の知恵により解決が可能な課題でもあります。環境問題に対峙するには人間的側面に対する深い洞察が必要なのです。
31 沙漠化の要因について簡単に説明しています。教科書的ですが、現実ではどうでしょうか。

沙漠化をもたらすとされている行為による受益者は誰か。また、受苦者は誰か。二者は同じ場所にいるのか、離れた場所にいるのか。人は行為の結果を知っているのか、知らないのか。人は倫理的に行動するのか、損得によって行動するのか。

リモートセンシングで沙漠化地域のマッピングはできます。しかし、その背後にある真実は何か。問題解決にはどのように進んだら良いのか。一緒に考え、行動することが必要です。それがSDGs/Future Earth時代の科学です。
32 モンゴルは二つの国に分断されています。それぞれの領域で沙漠化は生じていますが、その程度、要因は大分異なります。

沙漠化現象の解明は理系の仕事かも知れません。しかし、沙漠化問題の解決はどうでしょうか。それは様々なステークホルダーの協働によって初めて達成できるものです。

沙漠化は悲惨な災害というステレオタイプから抜け出して、問題を“わがこと化”し、共に解決を目指してください。そのような活動はたくさん始まっています。
33 環境問題の真実を見ようとすると、不都合な真実が見えてきます。しかし、それを受け入れ議論する態度も必要です。背後にある極大な仕組みも見えてくるでしょう。それは資本主義の仕組みであったり、国民国家の統治機能であったりします。大きなものにぶちは立ったときに、あなたはどのように行動するでしょうか。

複雑な問題に対しては、日本の公害問題を振り返ってみることをお勧めします。まだ日本人の記憶に確実に残っている四大公害病は文献もたくさんあります。人の暮らしレベルから問題を見つめ直す試みはあなたを成長させるかも知れません。
34 私はトルファンという場所に2回行ったことがあります。交河故城、高昌故城で“もののあはれ”を感じ、カレーズの水が流れるオアシスではウィグルの民の暮らしの無事を感じながら、大中国の圧力も感じ、日本語を話す少女や、田舎のうどん屋(ラグメン)で突然聞こえたアニメ「一休さん」の主題歌に驚き、ゴビやその先にある天山の景観に畏敬の念を覚え、トルファンの無事平穏を願った。

交河故城がなぜ朽ち果てながらも残ったか。モンゴル帝国の虐殺による怨霊を恐れ、イスラムの民も近づくことができなかったという話を聞いた。交河故城から谷を隔てた対岸にはモスレムの墓地が見える。
35 GoogleEarthでトルファンを探してください。テンシャン山脈の南麓に扇状地が広がっています。この扇状地の地下水を地下トンネルによって低地に運び、その末端には画像で緑に見えるオアシス集落が形成されています。

盆地中央にあるアイディン湖は排水河川を持たない内陸湖です。ここに集まった水は蒸発して大気に帰って行きます。天山の雪氷の長い旅がここで終わるのです。人はこの水循環を少し強化して、水を得て暮らしているわけです。
36 水問題は同様な背景のもとで、世界中で同時多発します。砂漠化と同じく、地球環境問題といっても良いでしょう。

中国新疆のトルファンは西遊記にも登場する高昌国のある盆地です。坎儿井(カンアルチン、カレーズ)と呼ばれる集水システムが有名です。天山山麓の扇状地の水を運び、オアシスを形成しています。

しかし、近年動力揚水による灌漑が行われるようになってから、地下水位が低下し、伝統的な灌漑システムが危機に瀕しています。
38 カレーズは自然の水循環を人が少し強化して、その分を使う持続可能な水利用システムでした。しかし、深井戸の掘削と、水中ポンプによる揚水は地下水位低下をもたらし、持続可能とはいえません。しかし、一回水源井を作ってしまうと水の管理は飛躍的に簡単かつ安全になります。

一方、右上の写真にあるように開水路による灌漑システムの建設も進んでいます。なぜそれが可能なのでしょうか。

二枚の地図は河川流量の増減を表しています(博士論文の成果です)。新疆では河川流量の増加が認められます。その増加は雪氷の融解水が起源だと考えられます。地球温暖化の影響かも知れません。
39 天山山脈にはたくさんの氷河がありますが、経年的に縮小を続けている氷河がたくさんあります。ウルムチ1号氷河は自動車で行ける氷河として有名ですが、縮小を続け、最近は二つの氷体にに分離してしまいました。

中緯度の山岳氷河では気温が0度を越えて上昇すると融解が始まります。これが下流の河川流量が増加している原因かも知れません。

トルファンの水資源は人間活動だけでなく、気候変動の影響を受けているといえそうです。もし氷河が融けてなくなってしまったら、下流の水資源は不安定なものになるでしょう。
40 タクラマカン沙漠の南縁、崑崙山脈の北麓に広がる扇状地の尖端部にオアシスが点在している。その一つ、ホータンでも近年、開水路による灌漑が増えているという。水の管理は適切か、持続可能か、問題があるかどうかまずは文献で探してみよう。

環境学は問題が何なのかを認識するところから始まる。隠れた真実を明らかにすることによって問題の本質、解決の道筋が初めて見えてくる。一方、数学や物理学といったニュートン・デカルト型科学は多くの場合、解くべき問題は明白で、競争しながら解こうとする。環境学とは本質が異なる科学ではないだろうか。同じだろうか。
41 沙漠のオアシス。池があって、ヤシの木があるというのはステレオタイプであるが、池の水はどこから来たのだろうか。

下の図のような説明がされることが多いが、地下水はどれくらいの距離を、どれくらいの時間をかけてやってきたのだろうか。実は数万年、地域によっては数十万年かけて流れてきた地下水なのである。

最近のデスクトップサイエンティストは現象を演繹的、概念的に説明して、わかったつもりになる傾向があるような気がします。現場で何が起きているのか、実は文献もたくさんありますので、他分野の情報を得るという態度が必要だと思います。
42 エジプトからリビアにかけて、ヌビア砂岩と呼ばれる帯水層がある。中生代の砂岩であるが、固結しておらず、良好な帯水層となっており、地域の水資源を供給している。

しかし、リビア・エジプト沙漠は沙漠であり、現在では涵養はほとんどないと考えられる。古典的な研究として炭素14を使った地下水の年代測定の結果がある。

それによると、ヌビア砂岩の地下水は少なくとも1万年前以前に涵養された地下水、すなわち氷期の湿潤期に涵養された化石地下水であることがわかる。

地下水は地域のオアシスの暮らし、生業を支えているが、地下水位は下がり続けている。でも、住人は大丈夫という。いずれ科学技術が解決するだろうと。さあ、科学技術で解決できるか。できないだろう。どうしたら良いのか。科学技術と関連するステークホルダーの協働しか道はないが、苦しい道程でもある。
43 沙漠は水がないから沙漠になっている。だから雨は降らないと考えるのはちょっと早急です。

沙漠に面した山岳からはワジと呼ばれる涸れ川の地形がよくあります。それは、たまには洪水が起きることを意味しています。それは貴重な地下水資源を涵養することにもなるのですが、人間の領域を襲うと水害になります。

なお、沙漠の豪雨は地球温暖化と関係しているかどうかは不明です。昔からある現象ということ。
44 これはランドサット画像ですが、画面左がUAE、右側がオマーンです。下方にア・ラインという都市が見えますが、ここで泊まったホテルはオマーン側にありました。国境って何。

オマーンの山岳から黒い筋が沙漠に入り込んでいますがが、これがワジです。時々降る雨が沙漠に地下水をもたらし、町の水源となっていますが、その地下水位は下がり続けています。
45 私の初めての海外調査の経験は1987年のタンザニアでした。ナイロビでは無理言って、ンゴングヒルに行かせてもらいました。「愛と悲しみの果て」(Out of Africa)の舞台です。メリル・ストリープの格好良いこと。初めて見る大地溝帯には感動しました。

寄り道の後、ダルエスサラームに入り、内陸のドドマまで凸凹道を移動。ドドマ郊外のマクタポーラ村で調査をしながら眺めた暮らし。ゴゴ族の家は半地下の土でできた家で、ヒルでも真っ暗。子供たちは裸足で飛び回っている。カウンターパートはあれは俺の子供なんだよ、なんて言う。でも村で子供を育てている。

外見は貧しいといえるかも知れない。しかし、実につましい暮らしの中に幸せが垣間見えた。もちろん、様々な問題も見えてくる。教育、医療、福祉、..少しのセキュリティーネットが機能すれば幸せな社会に違いないと思う。その後の私の社会観を大きく変えた経験でした。
46 ドドマは東アフリカ高地に位置し、西方には地溝帯が走る。そこに向かって階段状に断層により高度を落としていく。画像の中に北東-南西方向のリニアメントが見えるが断層である。断層破砕帯の中には地下水がある。

画像はランドサット衛星による1987年の雨季(左)と乾季(右)の画像。雨季にはアカシアの灌木が葉を付け、雑草も生えるが、乾季は茶褐色の世界。一年で景観が変化する半乾燥地域の存在を意識しよう。

雨季の画像では白抜きの円形のパターンが見える。これは村である。池の周りに集落が立地し、周囲から薪を採取する。だんだん薪をとる場所が遠くなると、村ごと移転するのだそうだ。Shifting cultivationならぬShifting villageである。
47 タンザニア政府は首都を国土の中央に移転しましたが、問題は水資源でした。そこでドドマの北約30kmにある断層破砕帯中の地下水をくみ上げてドドマまで送水することにしました。問題はこの地下水資源が持続可能か、ということです。

そこで、千葉大学チーム(新藤静夫(現)名誉教授が隊長)は地下水の起源、涵養のメカニズム、水収支等を明らかにすることによって地下水の管理方法の提案を試みました。

私が抱いているのは私の子供ではありません。あれから30年、彼(彼女)も大人になったのだろうな。
48 まず雨量の経年変化と空間分布を調べました。空間分布は空き缶を村に置かせてもらい、定期的に回収してたまった水量からその期間の雨量を調べました。

その結果、流域全体では年間500mm程度の降雨があるのですが、その空間分布は極めて不均一なことがわかりました。雨はスコールで、降れば土砂降り、でも雨域は狭いから。

面白いことがわかりました。流域降水量に対して川の本流が狭いのはなぜか。それは川は局地的な降雨を地域ごとに排水すれば良いから。雨の降り方が違うと川の形状も違ってくるのだな、と実感。こんなことに“気付く”ことがフィールドサイエンスの醍醐味です。
49 ドドマの発展とともに、地下水利用量はぐんぐん増えました。それに伴い地下水位も下がっています。これ以上、地下水を揚水し続けることは可能なのでしょうか。

ここにこそ、水文学の神髄発揮の場があります。それにしても、サバナの景観は落ち着くなぁ。遠くに乾燥地特有の地形であるモナドノックがそそり立つ。乾季は茶褐色に染まり、牛の糞が円盤状に固まっている。これを投げるのが楽しい。

乾季のサバンナの中で野火に囲まれたことがある。すげーな、と眺めていたら、実は命を落としかけていた。古いランドローバーからはガソリンも漏れているし、ドライバーは必死で脱出ルートを探していたとのこと。
50 断層の上には台地が広がるが、そこからの涵養はあるのだろうか。そこで、テンシオメーターを設置し、地下の土壌水分を測った。その結果、雨季には表層が湿るが、乾季になると乾いてしまうことが判明。地下水涵養は生じていないということになる。それでは地下水資源は持続可能ではない。

では断層破砕帯の地下水はどこから来たのだろうか。
51 水分子を構成するHとOの同位体を調べると、地下水が降水起源なのか、蒸発のプロセスを経ているのかということがわかります。興味を持った方は、http://www.cr.chiba-u.jp/~klab/edu/lec/hydrology/index.htmlを訪問してください。

断層破砕帯の地下水は雨起源であることがわかりました。では、どうやって地下に運ばれたのか。

まず、花崗岩分布域で砂質土層が形成されます。そこにはシロアリが巣(マウンド)を造ります。降雨はマウンドとマウンドの間に集中し、短時間で浸透します(だから、蒸発の影響を受けていない)。その後、花崗岩の亀裂を通じて断層破砕帯に地下水が供給されます。ラテライト質のガチガチの土壌からは涵養はありません。

よって、ドドマに水を供給している断層破砕帯の地下水は更新性の資源であったということになりました。現象認識のプロセスについてどう感じたでしょうか。頭の中だけで考えて、現場のプロセスが理解できますか。デスクトップ・サイエンスには限界があります。
52 しかし、めでたしめでたしではありません。更新される(涵養される)量より、使う量が多ければ地下水資源は減少し、いつか付けなくなります。

地下水が涵養される場所がわかりましたので、現場で得た知識をすべてモデルに反映させて水収支計算を行ったところ、現在の地下水利用量は地下水涵養量とほぼバランスしているという結論になりました。

ということは、これ以上の地下水資源は見込めず、ドドマの発展もこれまでということです。しかし、GoogleEarthでみるとドドマは拡大を続けている様です。もうギリギリなのか、それとも貯留量が見込みより多かったのでまだ大丈夫なのか。それはこれからの課題です。
53 どんなにコンピューターが進歩しても、頭で考えた地球では、地球の真の姿を捉えることはできないのではないでしょうか。

大きな法則が地球の営みを支配しているのではなく、場所ごと、地域ごとの営みが積分されて地球の営みになっていると考えて見たらどうでしょうか。

地球環境を研究するということの背景には、地球をどう見るか、という研究者の価値観が含まれています。科学者といえども、価値を離れて世界を理解することはできません。

これは近藤の考え方なのですが、SDGs、Future Earthの発信は私の考え方を支持しているようにも思えます。同じ方向を見つめていると言った方が良いかも知れません。