第1回課題に対するコメント(2021年度) 

ここに書いてあることは正解ではありません。近藤の考え方ですが、受け入れる必要はありません。自分自身の考え方を持つことを大学では心がけてください。その際、自分がどのような視点(どこから見るか)、視野(どのくらいの範囲を見るか)、視座(どんな立場で見るか)に立っているのか、常に確認しながら進んでください。

はじめに

近藤は講義の最初に科学論、科学史、科学哲学といった内容を話すことにしています。何のために大学で科学の成果と、手法を学ぶのか。それを忘れているのが日本の科学技術の低迷のひとつの要因なのではないかという気がしているからです。真理の探究の重視は20世紀の高度経済成長を経験したシニアの考え方ではないだろうか。低成長、縮退の時代では科学の営みを維持するためにも、科学者は科学の価値を社会に向かって発信しなければならないと考えています。その際、重要だから重要、ではなく、わかりやすく伝える必要があります。これが結構難しいのですが、それは科学に対する自身の哲学がないからではないかと思っています。異見もあると思いますが、その際はどしどし発言してください。

 4月26日の提出期限が来ました

これから少しずつ読み始めます。コメントを書きますので、時々訪問してください。課題地獄に陥っていますので、少し時間がかかるかも知れません。ほとんどの方が科学と社会の関係性は良くないという考え方のようです。その理由は様々ですので、少しずつコメントをしたいと思います。両者の関係が良いと考える方も少しいました。その大きな理由は、現在の日本が世界の中でも豊かで暮らしやすい国になっており、それは科学技術の進歩によるところが大きいということでした。結果を評価するときに、時間軸で考えることは大変重要だと思います。最初はよかれと思ってやったことが悪い結果をもたらすことがある。例えばフロンの発明がそうですね。でもフロンの発明者を責めることはできるでしょうか。私たちは歴史から学び、より良い社会を創っていかなければならないと思います。ビスマルクの言葉:「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。世の中そんなに甘くないよと考える方にはチャーチルの言葉:「悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす」。理念を明確にして、進んでいくしかないのではないか。

 トリチウム汚染水について

私が話をしたので何人かから意見を頂きました。確かに“科学的”には“危険でない”物質を海に流すのは科学的合理性からは問題はないと私も考えます。しかし、それが可能なのは政治、行政、住民、専門家といったステークホルダーの間に信頼関係がある場合です。政府、東電は信頼を醸成することに失敗したのです。では、どうすれば良いか。信頼を回復するという行為は何か、をしっかり考えてそれを実践しなければなりません。それは科学的なリスクコミュニケーションだけではありません。あなたが人を信頼するということはどういうことなのか、考えてほしいと思います。でも現実はこんな思いとは別に進行するでしょう。このことはまだまだ深めたいと思いますが、近藤のホームページにある講演資料等に考え方が書いてあります。探してください。環境問題には答えはない、あるいは一つではないのですが、避けられない問題がたくさんあります。

 酸性雨

酸性雨について書いて頂いた方がたくさんいました。この問題の発見は19世紀の欧州でしたが、その後アメリカの五大湖周辺の工業地帯で問題になり、その後世界各地で報告されるようになったと思います。酸性雨はまず①問題として認識される段階、②メカニズムが解明されていく段階、③因果関係が同意される段階、④改善が図られる段階、に分けられると思います。その各段階においてどんなことが起きたのか。また、各国の経済発展のレベルにより、どの程度の時間遅れで生じたのか、先進国における教訓は活かされたのか、などいろいろ考える論点はあると思います。重要なことは、メカニズムが明らかにされれば、問題が直ちに解決されるわけではないということです。
酸性雨はかつては地域の問題でした。日本でも大分改善されていると思います。しかし、グローバル化が進行した現在、世界各地で、それぞれの国の発展段階に応じて問題は残存し、越境汚染として複雑な模様を呈しているといえます。そこには資源、経済、政治リンクも関わっていますが、酸性雨問題を通して世界を時間軸と空間軸で理解する試みはいかがですか。

 沙漠化

沙漠と砂漠は同じ意味ですが、近藤は沙漠を使っています。沙漠化について書いて頂きました。沙漠化とはどんな現象でしょうか。地球温暖化の結果として生じている現象でしょうか。気候変動と関連して、地球規模でじわじわと拡大している現象でしょうか。実は気候変動はその要因だとしても寄与の程度は人間要因と比較すると小さいと思われます。現実の沙漠化とは、人間による土地利用の変化により、局所的な土地の荒廃が拡大していく現象であることが大半です。沙漠化の要因は地域によっても異なります。主な要因とされているものは、過放牧、薪炭材の過剰採取、過開墾、塩類集積と言われています(講義資料の「世界の諸地域の暮らし:乾燥地域」を参照してください)。さらに背景には政治、経済、民族、といったものが沙漠化の加速要因となっている場合もあります。しかし、沙漠化は人間の知恵と科学の成果によって防止することもできます。環境問題は科学と社会の関係を理解する教材になります。がんばって問題の深読みができるようになろう。

 温暖化の要因

地球温暖化は複数の要因が積分されて生じます。重要な要因は温室効果ガスの放出ですが、アルベドの変化も要因の一つです。すでに顕れている現実世界の事象の要因はひとつではなく、複数の要因が積分されて現在の事象になっているという点に留意してください。ひとつの因果関係を想定するのは、例えば、物理学の試験問題があります。ノイズを捨象して、ひとつの原理で問題を解くという習慣が身に付いていると思いますが、そうではない環境問題の見方を学ぼう。なお、北極は海洋ですので氷河はありません。

 Glacial Lake Outburst Floods

GLOFについて書いて頂きました(ただし、正確な科学的な記述を心がけましょう)。GLOFは氷河湖決壊洪水と訳せます。氷河の融解によって末端のモレーン湖の水位があがると、もともと岩屑から構成されるモレーンが決壊しやすくなり、下流の住民にとっては深刻な脅威となっています。日本でも多くの研究が行われています。では、GLOFの危険性がわかったらどうすれば良いのでしょうか。研究者は論文を書けば、誰かが参照して何かをやってくれるのでしょうか。欧米の研究者は研究が終わった後も、地域の安全のための活動を継続しているが、日本は研究が終わると引き上げてしまうという現地の批判に胸を痛め、“地域のため”の活動を行っている研究者を近藤は知っています。 研究者は論文を書くことだけが仕事でしょうか。学生の皆さんはここをよく考えてほしいと思います。

 地球温暖化

ざっくりと地球温暖化を環境問題と捉えて頂きました。地球温暖化の物理は研究成果や教科書を読むと理解できると思います。では、地球温暖化問題はどうでしょうか。実は問題として捉えると、その背景には政治、経済、など様々な要因と国や企業による駆け引きがあり、また宗教に基づく世界観も関係していると考えられます。地球温暖化を問題として捉えたときの、様々な関係性のリンクを見極めることが人類の持続性というよりも、国民国家としての日本の未来とも関係すると考えられます。これは突っ込みたい課題ですが、もっと対話したいですね。
人間が便利や楽を追い求めた結果が、気候変動として顕れたという認識はコンセンサスをほぼ得られていると思います。問題はベネフィットとリスクが分断され、地域ごとに異なっていることです。化石燃料をはじめとする資源の公正な利用とは何でしょうか。FairnessとEquityはどう違うのか。私たちが考えなければならない問題はたくさんあります。大学時代は考えることができる時代です。じっくり考えてください

 プラスチック問題

出てくると思っていました。プラスチックは便利な道具ですが、そのベネフィットとリスクの関係をどう捉えるか、という点が大切だと思います。観点は、倫理、景観、健康リスクに分けられるかな。私たちが住む世界をこんなに汚してしまって良いのか。自分の目の前になければ良いのか。そして、これらの観点は、誰に対する観点なのか、という点も考えなければならないと思います。自分を中心に見るか、人間中心とするか、あるいは生態系という観点で捉えるか。はたまた地球という視点で見るか。自分以外の誰かの立場、それは生態系を含むすべての暮らしを営む命の立場に立ち、地球全体を見る視点で捉える考え方が強くなっている様に思います。考えてください。
マイクロプラスチックの健康への影響が課題ですが、2020年に学術会議の提言作成に関わりました。ここをクリックしてPDFをダウンロードしてください。ペットボトルのフタに含まれる添加物も問題があるようです。しかし、低濃度なので問題は無いという意見もあります。それは原子力災害における放射能のレベルに関する見方とも同様です。自分で考えて判断する力を養ってください。

 ゴミ問題

ゴミは処理施設できちんと焼却すれば問題は生じないでしょうか。クリーンセンターと呼ばれる焼却施設は私たちの暮らしに不可欠の存在ですが、老朽化による建て替え、予算、土壌汚染、大気汚染、パッカー車の往来、などいろいろな課題を乗り越えて建設されています。なによりもゴミを生産しないという暮らしを考えないと行けない時代になりました。ゴミは見えなくなっても、人の手でコストをかけて処理されているのです。

 熱塩循環の停止

深層海流と書いてくれました。メカニズムはきちんと勉強してくださいね。熱塩循環が止まったら地球は氷期に向かうかも知れません。寒冷化は食料の原産、エネルギー需要の増加、等を意味し、人口が増えた社会では持続可能性を脅かすことになるでしょう。熱塩循環は一時期ずいぶん話題になったことがありましたが、最近あまり取り上げられなくなったような気もします。でも懸念は残ったままです。そのような状況下にあることを忘れてはいけないと思います。気候システムは意外と脆弱なシステムなのかも知れません。いや、人類の力は地球システムを変えるまで大きくなってしまったということなのです。このことを意識できるかどうか、それが近代文明人かどうかの分かれ目かも知れません。あなたはどんな暮らし方を選択しますか。

 ステレオタイプに注意

環境問題を語るとき、さもありそうなストーリーが語られることがありますが、エビデンスはあるか、どこの問題か、具体的な記載はあるか、論理的か、しっかり考えて見ましょう。環境問題は、それが問題として顕れるときは、その地域固有の事情によって、固有の事象として顕れます。地域ごとの個別性と人間的側面の理解を試みてください。全く異なる姿で環境問題が顕れることがあります。これがわからんと問題自体を理解できないし、解決など彼方です。

 ヒートアイランド

十分理解されるようになってきました。地球温暖化と地域温暖化は峻別できるようにしましょう。日本はヒートアイランド研究では世界トップクラスの実力があります。日本語の論文や教科書もたくさんありますので、探して勉強してください。重要なことは、人間がほんのちょっとでも地表面を改変すれば、土地の熱収支が変わり、ほとんどの場合、地域の高温化・乾燥化に結びつくということに注意しましょう。住居の断熱性を高め、効率の良いエアコンを使えば良いのでしょうか。自然の風を使い、植生や建物の配置を工夫して、地域の高温化を緩和する方法もあります。そもそもどのような都市の構造にすれば経済的なベネフィットと良好な環境をバランスさせることができるか。環境改善のベネフィットをどのように算定するか。調べることはたくさんあります。

 海洋酸性化

実は近藤はこの問題はあまり詳しくないのです。自分で調べて見ましょう。その際、メカニズムがあるということと、問題として出現することの間には大きな乖離がありますので、現状がどうなのかしっかり勉強して見てください。また、地域ごとに影響の大きさは異なるかも知れません。地図の上で考えるということも考慮してください。

 森林伐採

これも重要な課題ですね。ただし、森林伐採すべてが悪というわけではないので、個別の事例を十分吟味しながら問題の全体像を捉える努力をしてください。森林伐採は豊かになりたい家族の生業かも知れません。CO2を放出するという理由で先進国に住む私たちが伐採をやめよ、というのも変ですね。森林を伐採しなくても現地の方々が幸せになるためにはどうすれば良いのでしょうか。かつてコモンズの研究が強化された時代がありました。コモンズをキーワードにして調べて見てください。

 原子力発電

これを環境問題として捉えた観点はすごいと思います。環境問題が人と自然の関係性に関わる問題だとすると、文明社会に電気を供給することで自然改変を促進し、事故によって放出された放射能は人と自然を分断している。環境問題に違いありません。原子力の使い方は人類に課せられた課題ですが、原子力技術が社会技術になっているか、という観点が大切だと思います。原子力発電の技術と、それがもたらすベネフィットとリスクを十分理解し、ベネフィットとリスクを分断させない使い方を我々はしているかどうか。どうも社会技術と呼ぶには危ういようです。考え続けてください。

 水質汚染

これは典型的な環境問題ですね。特に窒素はプラネタリー・バウンダリー(調べて見よう)を超えている要素のひとつでもあります。水質汚濁防止法で定められている水質項目には健康項目、生活環境項目と要監視項目があります。最近要監視項目になったPFOS等の有機フッ素化合物はテフロン製品や撥水処理をした製品に含まれており、みなさんにも身近な物質です。
富栄養化も水質汚染の課題です。近藤が子どもの頃はドブ川が多くて、臭かったという記憶があります(習志野市北部在住)。でも、最近は水質はずいぶん良くなりました。一番汚れていたのが1980年代ではないでしょうか。流域下水道の整備によって公共用水域の水質は一定レベルまで改善されましたが、下げ止まりの状況です。これ以上良くするためにはさらなるコストが必要となるでしょう。
一方、瀬戸内海や東京湾では水質がよくなりすぎて、生産量が減っている状況も出現しています。東京湾はかつて江戸前と呼ばれましたが、江戸市民の汚水により江戸湾の魚介類が成長し、市民の食卓に上がっていました。すなわち、人と自然の作用が平衡状態にあり、里海として機能していたわけです。人と自然の関係性のあり方について考えて見てください。
ただし、手賀沼や印旛沼のような閉鎖性水域の水質改善は達成されていません。印旛沼はダムとして高度に利用され、水が循環しなくなってしまったため、水質指標であるCODは環境基準を遥かに超えたままで高止まりの状況にあります。印旛沼の水は浄化されて千葉県の水道用水にもなっています。それでも印旛沼の畔に立つと美しい景観を楽しむこともできます。人と沼はどんな関係性を結ぶことができるでしょうか。印旛沼における様々な試みはここを参照してください。

 オゾン層の破壊

これも深刻な問題ですね。昔、ニュージーランドに行ったときに、高緯度に住む方々にとっては深刻な問題であることを実感しました。オゾン層破壊の原因はフロンですが、フロンの開発の歴史、人間にとってのベネフィット、その後発覚したオゾン層の破壊、それに対して人間がどのような行動をとったか、について調べてください。

 人口増加

これは究極の環境問題だと思います。科学技術や医療技術の進歩で人の寿命は延びた。それが直ちに幸せに結びつかない事例は世界にたくさんある。この問題を解決するのは科学技術でしょうか。哲学、思想、宗教、倫理、といった分野の研究がますます重要になって来たように近藤は感じます。

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 進行中の災禍をどう捉えるか。今まさに歴史に立ち会っているわけです。