GISデータベースの現状と広域比較研究の課題

近藤昭彦(千葉大学環境リモートセンシング研究センター)

1.データベース研究の目的
 
 流域における降雨から流出への変換過程に関する研究は1930年代のホートンの浸透理論の提唱と、それに基づいた流出解析の時代に引き続き、1960年代の流出変動域概念により、流域における現象に基づいた研究の必要性が高まった。その後は小流域を対象とした研究により様々な流出メカニズムの概念が提唱されている。
 1980年代までの成果については田中(1989)に詳述されているが、1990年代は流出現象の物理性から、質的側面に関心が移っていった様に見える。一方、流出に関わる水循環の場は従来の土層から山体へと注目点が移ってきた(例えば、水文科学会、2001)。研究自体は少なくない数が実施され、認識レベルも徐々に深まっていると思われるが、“普遍的な水文法則”を導き出すには至っていない。このような現状における葛藤については浅野ほか(2005)に纏められている。
 2000年にハワイにおいて森林水文と生物地球化学に関する日米セミナーが開催され、その成果はHydrological Processes誌の特集号として纏めらた。このセミナーの目的の一つに流域の多様性の認識の問題があり、日米の地形と付随する水文現象の違いが認識された。セミナーの場で、比較研究の重要性についても議論した記憶はあるが、その後の具体的な活動には結びついていない。比較研究のためには、それぞれの流域における比較項目を調整しなければならないが、このようなコーディネートされた比較研究の必要性については浅野ほか(2005)においても言及がある。
 とはいえ、現実に測器の配置と観測を伴う比較研究を実施することは負担が大きい。一方で、研究の蓄積は膨大であるともいえる。また、水文観測も多くの施設で実施されている。これらの成果から普遍的な水文法則を導き出すことが可能なのか、また不可能なのか。これを検討するにはまず空間的なフレームワークが必要である。例えば、Kondoh et al.(2004)は水収支の観点からモンスーンアジアの水文地域区分を行った。水収支に加えて、地形、地質、植生、等々の異なる観点からの地域区分を行っておけば、各地の成果を空間的に位置づけることができる。これは比較研究のスタート地点であり、様々な空間情報を利用したGISデータベースの構築がなされるべき理由である。
 本論はここ10年来フィールドをやらなくなった筆者が頭で考えた内容を批判を覚悟の上で提出するものである。現場の知識をGIS構築に取り入れるために、様々なご意見を期待しています。
 
2.GISデータベースの構成
 
 構成する要素の多様性と空間的配置の重要性は環境の本質であり、流域における降雨−流出過程も例外ではない。流域末端で観測される流量は、気象条件に加えて、流域内に存在する流出に関わる様々な要因が積分されて出現しているものである。それらの要素には、地形、地質、気候、植生、土地被覆、等があり、さらに詳細なレベルでは、微地形、土壌、等々の要素が考えられる。
 これら全てを統合して多様な流域を理解するためには空間データベースが必要であり、統合の過程で、環境の時間性(歴史性)、すなわち、森林施行、崩壊、等々の履歴も取り込むことが可能と思われる。このような多様性・空間性・時間性を備えたデータベースを作成することによって、関連性、ここでは流出現象と流域を構成する諸要素との関連が見えてくる。この作業を実現するためにGIS情報データベース(地理情報データベース)が必要なのである。
 GISデータベースには列島スケールの広域データベースと小流域を対象とした狭域データベースが考えられる。前者については利用可能なデータを後述するが、小流域を対象とする場合は自作しなければならない。狭域データベースに必要な項目については後述するが、作成に関しては基本図、リモートセンシングデータ等の情報は大抵入手可能であり、アプリケーションとしてのGISを利用することにより、作成の技術的課題は多くないと思われる。
 
3.広域データベース作成に利用可能なデジタルデータ
 
1)地質
産総研100万分の1地質図
 縮尺は小さいが、日本スケールでベクター、ラスター双方のデジタルデータが得られる。
国土調査成果図表(画像)
 ほぼ日本全国をカバーし、5万分の1スケールで得られる地質図である。千葉大学から400DPIの地図画像をダウンロード可能である。
 
2)地形
国土数値情報50mDEM
 2万5千分の1地形図から作成された日本全国をカバーするDEMである。等緯度経度グリッドデータとして提供されるが、GISを利用すると任意の図法に変換は可能である。50m分解能になってようやく日本の地形のきめの細かさを表現できる様になったが、小流域の面積によってはまだ十分ではない。
 
3)気候・気象
国土数値情報メッシュ気候値
 1953年から1982年の観測値の平均値を使ってグリッド化したデータセット。DEMを利用して地形パラメータとの間で多変量解析を行っており、気温や降水量分布の標高効果も取り入れられている。項目は気温、降水量、最大積雪深(冬季のみ)である。
気象業務支援センター各種気象観測データセット
 気象庁が観測するデータは表記センターを通して購入することが可能である。
 
4)植生
環境省、緑の国勢調査
 1kmグリッドで群落コード、自然度等の数値がデータベース化されている。
 
5)土地利用
国土数値情報1/10細分区分土地利用データ
 日本全国を覆う公称100mグリッドの土地利用データである。1976年、1987年、1991年、1997年について公開されている。
細密数値情報
 大都市周辺のみ、10mグリッドの土地利用データが利用可能である。
 
4.GISデータベースの運用上の問題点
 
1)分解能
 
 全国スケールで最も多くの要素について収集可能な情報は国土標準メッシュにおける3次メッシュ(通称1kmメッシュ)情報である。しかし、小流域の面積は数ha程度であり、ここにスケールミスマッチがある。とはいえ、日本全国あるいは世界の試験流域の地理的条件を概観するためには有効であると思われる。個々の小流域が位置する場所の特徴を日本スケール(将来的には世界)で位置づけて理解することこそ、比較研究の第一歩である。
 数haから数km2程度の流域における比較研究では、必要な項目に関する空間情報を自作する必要があるが、その項目に関する議論はこれからである。一般的な項目以外に必要と思われる項目を列挙すると下記の様になる。
 
i)微地形分類図
 田村(1974)は谷頭部の微地形分類項目を提唱し、個々の地形要素が水文学的機能を持つことを主張した。実際に観測が行われている小流域では、幾段かの浸食前線、水流のニックポイント、斜面におけるクリープによる凹陥地、小規模の崩壊跡地、等々の微地形要素は容易に識別可能であり、それぞれが水文学的機能を持つことも容易に想像できる。個々の機能の解明については将来の研究課題かもしれないが、比較研究を行う際の重要な項目と考えられる。流出現象はあらゆる要因が積分された結果として出現しており、そのメカニズムについて発見型研究を推進するためには、可能な全ての要素について地図化を行っておくべきである。
 
ii)土層構造
 降雨流出イベントを計測するということは、比較的短期の水循環過程を計測していることになる。その循環の場として重要な部位が斜面の土層である。表層の構造は地形計測で明らかにできるが、地下構造は貫入試験あるいは物理探査の手法を用いる必要がある。
 
iii)植生図
 流出に対する植生の機能についてはこれまでの蓄積も大きい。樹種、林齢、等の項目は流出現象を理解するためには重要な項目であることは異論はないと思われるが、具体的な機能についてはまだ明らかにすべき点も多いと思われる。しかし、定量化が困難な課題でも比較研究の手法をとることによって植生の機能が明らかにされる可能性がある。ここにデータベースを整備することの利点がある。
 
2)スケール問題
 
 流域からの流出現象を理解するためには流域にスケールを十分に考慮する必要がある。かつて塚本・城戸(1989)は基底流量の一斉観測を行い、流域面積が小さいと基底比流量のばらつきは大きいが、流域面積が大きくなるにつれて一定値に収束していくことを示した。また、REA(Representative Elementary Area)の概念も流域の特性を議論するには一定規模の流域面積が必要であることを主張している。。
 このことは比較研究を行う際に重要な示唆を与える。すなわち、流域面積がある基準より小さな流域における流出現象は、その地理的環境における流出現象を代表しているかどうか保証されないことになる。
 したがって、小流域を対象にした比較研究では、流域を構成する要素を可能な限り記載した上で、比較研究によって流出現象を理解する手法をとる必要性が生じる。一方、大流域では流況等の流出パラメータが比較研究の項目として使えることになる(近藤・西崎、2004)。
 
3)モデルとのリンク
 
 流出現象の理解、予測のためにモデルの利用は欠かせない。一方で、現行のモデルには水文素過程研究の成果がどれだけ取り込まれているか、という疑問も生じている(浅野ほか、2005)。モデルに素過程研究の成果をフィードバックするにはモデルデベロッパーに現象を提示し、共同してモデルの開発にあたることが必要である。同時に、流域の持つ幾何学的特性を十分理解させる必要がある。例えば、実際の水系網はより多くの低次の水流が少数の高次の水流に合流するという構造を呈している。低次の水流は素過程研究の成果をフィードバックさせる可能性のある場である。
 一方、ここでもスケール問題が浮上する。現在、長江や黄河といった大陸スケールの流域に適用できるモデルが開発され、ある程度の成功を修めている(例えば、BTOPMC)。一般に利用可能なDEMの分解能に対応する1kmグリッドが採用され、このスケールで様々なパラメータが与えられる。しかし、1km四方内の多様性は極めて大きい。このスケールで計算結果が良好なのは、空間スケールが大きくなると流出現象は、“水は低きにつく”、“雨が降れば流量が増える”という普遍的な原理に基本的に支配されるからではないだろうか。小流域では流域を構成する要素の機能が独立して現れ、積分した結果は現実を説明することが可能だろうか。この点が研究における最大の課題である。
 
5.提言
 
 以上の考察に基づき、今後推進すべき課題として以下の3点を挙げる。
i)小流域研究の成果を位置づけるための列島スケールデータベースの構築
ii)比較研究のための小流域のGISデータベースの作成
 課題i)は既存のデータをGISにインポートすれば良いので比較的作業は容易である。課題ii)の小流域GISデータベースを構築するためには同一の観測項目、計測項目をたてる必要がある。これについてはモデル流域を選定し、植生、微地形、土層構造、等々詳細なGISデータベースを作り上げるフィージビリティー研究を実施したらどうだろうか。
 ここまでの情報が揃ったら下記の課題を実施する必要がある。
iii)流域構成要素と流出現象との間の関連性解析
 これはGISデータベースの構成要素、すなわちレイヤーの数と質に依存する重要かつクリティカルな部分であるが、考えられる検討項目を列挙すると下記のようになる。
・微地形の水文学的機能
・植生と流出現象の関わり
・小流域の水文現象の代表性の検証
・斜面形状と水文学的機能
・水系網ネットワークの再検討
・その他
 小流域GISデータベースを使ってこれらの項目を検討することにより、流域における流出現象を包括的に理解することが可能になるのではないかと考えられる。
 最後に、比較研究の最大の課題であるスケール問題を解決する必要がある。その手段の一つとして入れ子流域における水文観測を実施し、その違いをGISを用いて説明することができるかどうか試行してみる価値はあると思われる。
 
引用文献
 
Kondoh, A., Agung Budi Harto, Runtunuwu Eleonora, and Kojiri, T.(2004): Hydrological regions in monsoon Asia. Hydrological Processes, 18, 3147-3158.
浅野友子、内田太郎、ジェフリー マクドネル(2005):Variable Source Area Conceptの次なる斜面水文学の概念構築に向けた近年の試み:斜面に降った雨はどこへ行くか? 水文・水資源学会誌、18、459-468.
近藤昭彦・西崎貴子(2004):流域の気候・植生・地質・気候が河川流況に与える影響.2004年度水文・水資源学会学術大会(室蘭).
水文科学会(2001):特集「山地流域の降雨流出過程と山体地下水」、31、91pp.
田中 正(1989):「流出」、気象研究ノート第167号「水循環と水収支」、67-89.
田村俊和(1974):谷頭部の微地形構成.東北地理、26、189-199.
塚本良則・城戸毅(1989):森林伐採による年流出量の増加について.水利科学、161、26-38.